喝采は歌わない

つぶやき

 人生のことなどブログに書くと、次は政治のことになる。何か気持ちを調節しているのかもしれない。

 きのう日曜の新聞の4面の隅に、「ガソリン補助見直しを示唆」
 自民党の鈴木幹事長が、レギュラーガソリン1リットル当たり170円程度に抑制する対策の見直しを示唆したという記事。

 「大変に財政的な負担がかかる。今後のこともしっかり考えなければいけない」
 そんなことは最初から分かっていたこと。伏線を張っておくということことなのだろう。

 今日の同じ毎日新聞は、高市内閣の支持率が3ヵ月連続で下がったという調査結果を報じている。

 支持率は53%から50%になったというが、読売新聞あたりでは70%を超えている。こんなに差があってもいいものなのか。

 消費税減税に関してはレジシステムの改修に1年ほどかかるということから、高市さんのせいではないがなかなか進まない。うやむやにならなければいいが。

 同じ毎日新聞の16面は、全面をド派手に飾り立てて、ちあきなおみさんのCD広告。こういう広告を見るたびに新聞とはなんなのかと思う。

 ちあきなおみさんが表舞台から姿を消して35年近く。ファンから復帰を熱望する声が盛んに聞かれるが、全くその気配はない。もはや「伝説の歌姫」

 そんなにたくさんのヒット曲があった人ではないと思うが、ちあきなおみさんと言えば「喝采」。

 だが歌の内容と「喝采」の題は似合わない気がする。人気はあったが喝采を浴びたわけではないと思う。喝采はオッサンたちの宴会の余興。

 この曲にはちょっと気になることがある。
 「あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った」
 この駅はどこなのだろうか。東北なのか西日本や九州なのか。

 恋人を残し、動き始めた汽車にひとり飛び乗ったのであるから、これは典型的な「東北から東京へ向かう上京物語」の構図。

 ところが恋人は亡くなり、葬儀のため帰った町は、「ひなびた町」ではあるが、「教会」「蔦がからまる白い壁」。明るい陽射しさえ感じるところであった。東北とは思えない。南国的である。

 この歌はいいとこ取りなのである。旅立ちのつらさには東北が似合う。恋人の葬式は古ぼけた東北のお寺より明るい白い壁の教会の方がスマート。恋人の死はこぼす涙を忘れるほどつらいが、それをこらえて今日もライトを浴びて恋の歌を歌う。

 歌謡曲とはそういうものである。冷静に分析するものではない。いつもそう言われてきた。

 ちあきなおみさんが表舞台から姿を消したのは、夫の郷鍈治さんが亡くなってからであった。

 郷鍈治さんは55歳の若さで肺がんのために亡くなったが、ちあきさんは献身的な看病を続けたらしい。

 葬儀では、ちあきさんは棺にしがみつき、「私も一緒に焼いて」と号泣したという話が残されている。

 棺に泣き崩れる人は多いが、「一緒に焼いて」という言葉には、愛の表現を超えた激しい思いがある。

 この話でこの稿を終えるのはつらいが、ちあきさんは、「喝采」の歌詞は嘘だと思ったのではないだろうか。

 愛していたらライトを浴びて恋の歌は歌えない。ちあきさんは自分が歌う姿も嘘だったと思ったのではないだろうか。

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