先は決まっているが先を読めないのが高齢

つぶやき

 ネットには高齢者の「まさか、こんなはずではなかった」というような、老後の生活に関する失敗談が多い。

 まあいろんなケースが「これでもか」という感じで載っているが、そういうことになることもあるだろうと思う。いちいちそれをここに書いてもしょうがない。

 歳をとれば不安だらけ。明るい未来というのはないのだから、明るく老後を暮らすということは、とにかく嫌なことは気にしないで、ひたすら根拠もなく明るく振舞うということである。

 今日のネットに、栃木県に住むマコトさん(仮名らしい)という人の話があったが、老後の生活に失敗したとか預金が足りないというような失敗談ではなく、うまくいったという話である。

 うまくいったことに関心があってブログに書いているわけではない。言葉のやり取りに感心したのである。

 この人は69歳。3年前に妻を亡くしてから、5LDK・庭付きの戸建てに一人で暮らしていた。年金は月15万。貯金は500万円くらい。ちょっと貯金が少ないと思うが、まだまだ若い。

 奥さんが亡くなってからしばらくは思い出の家を守り抜こうと、家事や掃除を頑張っていたが結局体力的にきつく、最後の頃はほとんど何もしなくなってしまった。庭も雑草で荒れ放題という有様。

 体力的にも問題だが、金銭の不安が膨らむ。住宅ローンは完済しているが、固定資産税の支払いや老朽化した水回りの修繕費、いずれ必要になる外壁塗装の費用を考えると、年金だけでこの家を維持していくことは到底無理。

 そこでマコトさんは元気なうちに家を売却し、狭い公団住宅での生活を決断する。

 この話をブログに書いたのはこれからのこと。

 マコトさんの決断に息子が猛反対する。

 「思い出の実家じゃないか。それを、わざわざ小さな団地に引っ越すなんて信じられない!」

 マコトさんはどうするのか。

 「……そこまで言うんなら、お前もこの家の維持・管理を手伝ってくれるのか? 金も手間も親まかせのくせに『思い出だから』と反対するのは、大人として無責任だろう」
 
 父親の言葉に息子は黙り込んだそうだ。

 この話に感心したというのは、私と私の子供たちの間にこういうやり取りがあったということではない。
 反論と言うのはこういうことなのだ、ということである。
 
 「思い出の実家じゃないか…」というような類の言葉に人は惑わされやすい。人はええかっこして人を責める

 マコトさんは団地住まいを始めてから快適な生活を送っているという話である。まだ若いからだと思う。

 では今晩も何もありませんように

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