病気のこともあって書き始めたブログだが、ありがたいことに今のところ再発も転移もなく、ただ便通のためにブログを書いている。
仕事ではデスクワークが多かったから、その習慣からか椅子に座っていると便意をもよおす。
私が発症したがんはやはりがんであるから、場合によってはブログなど書いているような状態ではなかったかもしれない。幸運を噛みしめなければいけない。
私と同じがんで、立川談志さん、忌野清志郎さんが亡くなっている。
何度かこのブログに書いたことだが、おふたりとも医者が勧める命を救うための手術をしなかった。喉頭がんのステージが上がれば喉頭を全摘するしかない。
談志さんは「プライドが許さない」。清志郎さんは「声は命より重い」と言ったそうだ。
このおふたりの人生の選択をときどき考えることがある。
幸い私はステージが1であったから、喉頭全摘を医者から突きつけられたことはなかったが、同病としておふたりの選択には身につまされるものがあった。
大変な度胸というか、すごいことである。命より声をとった。命に関わることとの選択で声をとったということに、ええかっこしいはありえない。
自分だったらどうするのだろうか。命より声の方が大事という経験をしようもなく、声に限らず、何よりも命が大事と考える小心者だから、とてもお二人の真似はできるはずはない。
自分の生涯をかけたものができなくなる。生涯をかけたものは命そのものなのだ。選択ということはありえないことだったのかもしれない。
すごい人達だったのだなと、あらためて思う。
とともに、ここで無意識に生涯という言葉を選んだことに気がついた。
今まで人生という言葉はよく使ってきたが、生涯と言う言葉は引用の他に使っていなかった。
このおふたりは、人生ではなく生涯だったことを私に感じさせたことになる。
人生をかける、生涯をかける。
前者は「賭ける」に近い。 後者は「捧げる」に近い。


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