担々麺は淡々としていない

つぶやき

 東海林さだおさんはこの4月に88歳で亡くなってしまった。ネットには哀悼の言葉が続いている。「心にポッカリ穴が空いたようだ」という人がいたが、私も同じ。

 50年以上も前、結婚して間もない頃、義兄と東海林さんのエッセイについて話しをしたいと思ったことがあった。

 義兄は私など足元にも及ばない大変な読書家。学歴も話にならないほどの差がある。

 東海林さんの文章については知っていたようだったが、「ハッハッハ」で終わってしまった。

 「ハッハッハ」は東海林さんをバカにしたものではない。いいとか悪いとかいうことではなく、「それだけのことで、それでいいじゃないか」ということだった。

 東海林さんの文章に関してのこともあったと思うが、義兄との話の中で、最近「脱力したような文章」が多いという話があった。正確にはそのような言い方ではなかったが、要は力んで文章を書いていないということである。

 具体的に言えば、何かを主張するのでもなく、啓発的でもなく、ただ淡々と事実をなぞっている文章の傾向がある、と言うのである。
 
 「そういう文章ってどうなのだろうか?」ということのように私には聞こえた。

 「脱力した文章」。人の気持に入り込まない。それでいて人に共感を求めている。「ずるい」と言ってもいいのではないか。

 義兄が生きていれば私のブログを「ハッハッハ」と笑うと思う。この笑いは東海林さんの時と同じではなく、私をバカにしたものである。

 「淡々とした文章」。なんの考えもなく、なにも思いに残る人生ではなかったということである。褒めるようなことではない。

 みんな逃げ場を求めているのだ。

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