さよならショージ君

つぶやき

 東海林さだおさんがこの5日に亡くなられたことをきのう知った。
 88歳。心不全という事だった。

 東海林さんと私は10歳違い。私が70になれば東海林さんは80になるのだなと、いつもそんな思い方をしていた。

 88と聞いて一つ違う。東海林さんは10月生まれだった。

 昨晩ブログに書こうと思ったが書けなかった。88歳でも死は突然である。

 私は20代の頃から東海林さんのファン。ファン歴は50年を超える。

 音楽は武満徹。漫画とエッセイは東海林さだお。私の青春時代の邂逅であった。

 今朝の毎日新聞はほぼ一面を東海林さんの記事に当てていた。東海林さんは毎日新聞に「アサッテ君」を40年にわたって連載していた。

 記事の冒頭、東海林さんをナンセンス漫画の開拓者と紹介していたがそれは違う。東海林さんの漫画はナンセンス漫画ではない。

 記事をじっくり読んでみたが、ただ東海林さんの業績を列記するだけで、書き手に東海林さんに対する愛着が感じられない。そんな記事なら載せることはない。

 文末に記者の名前があったので調べてみると毎日新聞の学芸部に所属の人らしいが、まだ40代くらいのようだ。この年齢の人には東海林さんのセンスは判らない。

 初期の頃の作品に「漫画文学全集」というのがあったが、漫画と共に文学への関心も高かった人なのかもしれにない。

 東海林さんがエッセイを書かれるようになって、それが文庫本として出版された時、私は初めて文章というものの面白さに引き込まれた。
 
 東海林さんの文章はとても判りやすく読みやすい。そして情景の写実にも感情の表現にも読む者の共感がある。

 たんに判りやすく読みやすい文章というレベルではない。東海林さんの文章の境地というものは、他の誰もがなしえない東海林さん独自のものであった。

 「哀愁の町に霧が降るのだ」という小説なのかエッセイなのか書いた人は、まるっきり東海林さんの文体を真似ている。

 東海林さんの文章は視線を下げたところから始まっている。低い位置から社会を見ている。そのことが文学的にはあまり評価されない要因とされているようだ。

 その通りかもしれない。東海林さんは大上段に人生を考えることを好まなかった。きょうもダメ、あしたもダメ、でもあさってには、と生きた人である。

 人生立派でなくてもいいのだ、という事をこの社会に初めて言った人ではないだろうか。

 「漫画という不確かなものを、牛乳という確かな生活に変えている」
 いち早く売れっ子になった漫研の仲間の家を訪ねた時のショージ君の言葉である。この言葉、書けそうで書けるものではない。
 
 12年前のアサッテ君の最終回の4コマ。

 アサッテ君の一家6人が並んで笑いながら「蛍の光」を歌うのだが、4コマ目は笑いながらぐしょぐしょに涙を流している。あのときの東海林さんの気持ちなのだ。

 ショージさんさよなら。お世話になりました。

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