京都南丹市の児童行方不明事件は、養父による殺害事件となってしまった。
養父が学校まで送って行ったが、監視カメラには映っていない。連日地元消防団や警察が捜索してもなんの手掛かりもない。
ひょっとして北朝鮮による拉致。でなければまさかとは思うが現代の神隠し。そんなことまで考えてしまうような経過であった。
だがこの不思議な事件の経過なるものは、テレビの演出によるものではないだろうか。
もちろんテレビも事件の行き先は判るはずはない。情報は警察の発表や独自の取材しかない。
だが報道の姿勢、番組の構成には「不思議」を煽る意図があったのではないかという印象が残る。
養父が学校まで送って行ったが監視カメラには一切写っていない。この事から警察はこの事件がどんなものなのか、すべて把握したはずである。
私たち視聴者もそう考えるべきであった。しかしテレビは司会者もコメンテーターも不思議を煽った。
リュックサックが発見された時、地元消防団の責任者は、あの場所は何度も確認して何もなかったとメディアの取材に答えていた。
それは、ちゃんと捜索をしていなかったのではないかとも聞こえる記者の質問に抗議しているようにも見えた。
リュックサックが出てきた、靴が出てきた。理解しにくいことであったが、結果が分かってしまえば、犯人は実に幼稚な行動をしていたということである。
この事件は当初行方不明事件であり殺人事件ではなかった。行方不明事件には犯人がいない。
事件は被害者がいて、犯人がいなければ成り立たない。
しかしメディアにとっては視聴者の興味をそそる人物の存在があった。
被害者の母は再婚。母の再婚相手による子供の殺人事件は多い。
行方不明事件が殺人事件になる。テレビはそれを分かっていて、不思議がることに終始していた。
テレビに何杯が食わされた。
テレビはCMをするためにある。だからそれでいいのだ。テレビに期待するものは何もない。
今晩も大地震が来ませんように。


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