経験することと他人の話

つぶやき

 「百聞は一見に如かず」という諺があるが、「百見は一験に如かず」という諺もあるらしい。

 小説や映画は他人の作り事。そういうもので自分の気持ちを左右されたくない、と小説や映画をあまり読んだり見たりしないという女性が近所にいる。

 私も同感である。だが他人の作り事で左右されたくないという自分はどの程度の人間なのか。そんなことも考える。

 近所の女性のことは知らないが、私の場合小説や映画を作り事と言えるような大層な経験や勉強などしたことはない。

 自分は自分らしいものを持って生きてきたと思っているが、どうもこのところその辺のことがあいまいなものになっている。

 自分の経験だけが本当の人生なのか、それとも他人の話も人生を形づくるのか。他人の話とは、小説や映画やテレビやネットや人のうわさ話までも含んでのこと。

 経験というものは「身体性」を伴う。歩いた道、味わった痛み、物を作った失敗。やってみなければ分からないということである。

 これらは身体の感覚として刻まれ、記憶に深く残る。だから経験こそが人生と思うようになる。

 他人の話はあくまで他人の話。自分の考え方に影響を与えることはあっても、自分が経験したことではないから人生そのものになることはない、という考えを人は持ちやすい。
 
 だが人生は「経験」と「他人の話」の二重の構造でできていると考えざるを得ない。

 なぜなら他人の話は参考であるだけでなく、自分の感情を揺り動かすことがあるからだ。感情に影響を与えるということは人間そのものに影響を与えることである。この事に信頼を置かなければいけない。

 他人の話だけでは人生は生まれない。しかし、他人の話がなければ人生は狭く、硬く、単調になることを否定することはできない。

 人生の思い出は「経験したこと」「知り合った人」「成し遂げたこと」だけでできている。しかしこれは当たり前のこと。人生の生き方と人生の思い出とは別のものだ。

 自分は他人の話に影響は受けないとしながら、小説を読み、映画を観て、テレビをつけ、ネットを眺め、音楽を聴く。 他人の話を聞くことでしか情報は入らず、自分だけでは時間を利用できないことを知っているからだ。

 結局のところ、人生は自分の経験と、他人の話のあいだを行き来しながら終わっていく。 そのバランスの中で、一日一日が過ぎていく。そして明日もきっと、誰かの話を聞きながら生きていくのだろう。

 自分の経験と他人の話。どちらが「本当の人生」なのか。両方と言うしかない。

 先日NHKの特集番組で養老孟司さんは、「ひとりで生きているみたいに思ってたんだけど、そうじゃないんですよね」と、番組の終わりごろにポツンと話をしていた。

 養老さんもずいぶん丸くなった。

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