「人生は楽しむのではなく面白がること」という言葉は、樹木希林さんの著作の中にあるらしい。
以前ネットで目にしたことがあり、「そうか、人生とは面白がって生きることなのか」としばし感心してプログに書いたことがある。
その時はあまりしつこく考えなかったが、今思うと、希林さんのこの言葉、そんなに深い考えあってのこととは思えない。
「人生は面白いことも楽しいこともないから面白がるしかない」ということだと思う。人生は面白くも楽しくもないからつまらない、では能がない。
私は希林さんの本は読んでいないが、この部分は次の言葉に続くらしい。
「楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やっていけないもの、この世の中」
「楽しむ」が客観的とは思わないが、「面白がらなきゃ、やっていけないもの」というのでは、私が理解した通りのことになる。あえて言えばごく通俗的で功利的とも言える。
いろいろな人がこの「人生は面白がること」に称賛の言葉を述べているが、いいかげんなものである。
「人生は面白い」と「人生を面白がること」は全く違う。
人生は面白いと生きている人は、やはり人間として豊かな人なのだ。
人生は面白いと感じられない人は、それだけの人なのだ。
私は人生を面白いと感じたことはないし、人生を面白がって生きようと思ったこともない。
面白がって生きる必要もないし、そんな生き方は好きではない。
ちょっと気が付いたことだが、希林さんが「面白がらなきゃ、やっていけないもの、この世の中」と言ったことは確認したが、やっていけないものは「この世の中」であって「この人生」ではなかった。
そうであれば「人生は楽しむのではなく面白がること」という言葉は、「人生」という言葉の部分が誤りとなる。
「この世の中」と「この人生」を一緒くたにしてはいけない。
面白がることが「人生」と言うならば少しは共感するが、面白がることが「この世の中」であるならば、それは「世渡り」ということではないか。希林さんはそんな程度の人だったのか。
つまらない話をすることになる。柳沢慎吾というタレントをずいぶん昔から見ているがもう60代の半ばだそうである。
彼の芸人としてのネタはとっくに切れている。
しかし彼はそのネタ切れを懸命に勝手に面白がってつなごうとしている。そんなふうに彼が見える。
希林さんは仕事では面白がっていたが、私生活では少しも面白がっていたとは思えない。
世の中は面白がって生きていくことはできるが、人生は面白がって生きることはできないのだ。
「面白がって生きる」ことは人生をなめていることである。
「楽しめる人生」を送ることがなにより大事である。



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