勇気を与えたい

つぶやき

 「熱戦が続く夏の甲子園」ということだが、何事にも関心がない私だから住んでいる県の代表校がどこなのかも知らない。

 スポーツに秀でていて進学校というところもあれば、昔どうしようもない悪ガキが行く高校であったというところもある。あんなところが代表?と思うことがあるが、今はいい学校なのかもしれない。

 7日の試合だったそうだが、有明高校が9回2死から逆点勝利ということを、今日のニュースなのかワイドショーなのかテレビで知った。

 有明高校は熊本県の代表。あの大地震の町からの出場。

 野球もそうだが、よくスポーツ選手が、「国民の皆さんに勇気を与えられたら」というようなことを言う。

 どうも人間が古いせいか、「勇気を与える」という言葉使いに少々抵抗を感じる。

 有明高校のヒーローが、「被災された方々に勇気を与えられるように、これからもプレーしていきます」と語っていた。素直な気持ちからの言葉なのであろう。

 だが、「勇気を与える」のではなく、「地震に負けないよう僕たちもがんばります」と言ったら、「勇気を与える」以上の感動があったのではないだろうか。

 「○○事件の弁護団は、第1審判決は事実を正確に認定していないなどとして、今日高裁に控訴しました」という言い方をよく耳にする。

 「などとして」という言い方には、どこか「お上にたてついて」というようなニュアンスを感じてしまう。

 今日月曜日は訪問マッサージの日。マッサージ師は、私の身体をもみながら家内とよく話をする。今日家内はフランス。

 「とても感謝しています」と、マッサージ師がいきなり私に言う。何事かと思ったら、以前大谷翔平の専属トレーナーのことについて私が彼を注意したことについてのことらしい。

 彼に言わせれば、トレーナーというのは自分のように国家資格を持っている人を言うのであって、単なるスポーツトレーナーはマッサージ師でもなんでもはない。言ってみればもぐりのインチキだと言う。

 その話を聞いて私は彼に注意した。マッサージ師などというものは国の資格があろうとなかろうといい加減なものだ。アンタは自分は資格者だというが、どれほどの資格だというのか。

 そんなことより、私が大谷のトレーナーという人はすごい人らしいと言ったなら、それを否定することなく、「そうですね、素晴らしい人ですね」と言えば、アンタ自身がよく見える。そのことが大事なのだ。アンタは人の話を否定することから聞く癖があるがそれはよくない。

 私が注意した事がよく判ったということらしい。何日か前、友人と話をしたとき、自分が言ったことと同じことを言う友人の話を聞いていて、私が注意したことの意味が分かったという。

 彼に感謝されるようなことを言った覚えはない。あの人はいい人だと思われたいか、どうでもいいと思うか、そんな程度のことである。彼はまだ若い。他人にいい人だと思われた方が生き易いということを言ったまでのことである。

 明日の朝食はレトルトカレーにインスタント味噌汁。少々辛さを感じる口内に、熱い味噌汁の刺激がたまらない。

 生きていてよかったと思うことはたくさんあるのだ。

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