やまゆり園から10年

つぶやき

 津久井やまゆり園殺傷から10年。犯人植松聖の死刑はまだ執行されていない。

 植松の控訴取り下げにより死刑が確定したが、その後再審請求を繰り返しているらしい。

 2016年7月26日午前1時頃、植松聖が施設に侵入し、重度知的障害者19名を殺害し、26名に重傷を負わせた。

 犯行動機は、植松による極端な優生思想と障害者差別とされている。

 やまゆり園での勤務を通じて、植松は「生産性の無い者は生きる価値がない」「障害者は社会に不要だ」といった考えを強めていったらしい。

 この異常な犯行について、ここに私の筆力で書けるようなことではない。植松の犯行後の話にこんなのがあった。

 ある時植松は、風呂で発作を起こして溺れ死にそうになった入居者を助けたことがあった。この際に保護者からは一言も礼を言われず、植松は「『余計なことをしやがって』という雰囲気を感じた」という。

 「障害者は人を不幸にする」。この体験が犯行に至る思想が初めて芽生えたきっかけになったと事件後にジャーナリストに語ったそうだ。

 植松の犯行は突然のことではなかったらしい。事件前に、衆議院議長宛てに「障害者を抹殺するべきだ」と記した手紙を送っていた。

 警察も行政も施設も植松が危険な存在であることは知っていたらしい。

 だがそれを防ぐ手立てをしなかったのか、できなかったのか。
 結果からすれば甘く見ていたということだろう。

 元衆議院議員で東京都知事でもあった石原慎太郎氏は、文學界(文藝春秋)2016年10月号の、精神科医・斎藤環氏との対談で、「この間の、障害者を19人殺した相模原の事件。あれは僕、ある意味で分かるんですよ」と述べている。

 石原氏は「…ある意味で分かるんですよ」と述べたが、石原氏があえて公の場で「分かる」と言うのは「あの殺害は正しい」ということを言っているのと同じである。

 優性思想。悪魔の思想とも言われる。ナチスを持ち出すこともない。
 健常者と障害者がいる社会においては生まれやすい思想である。

 誰にも生きる権利はある。しかし障害者は自分では生きていけない。神様しか結論を出せないことかもしれない。

 犠牲者の皆さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

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