相撲は単純だが複雑でもある

つぶやき

 大相撲七月場所は安青錦の優勝で終わった。
 暑い日の場所だから夏場所と思ったが、夏場所は5月のことを言うらしい。

 本割の安青錦・熱海富士戦は熱海富士が勝ってともに12勝3敗。
 続く霧島・琴桜戦は霧島が勝って優勝の行方は巴戦となる。

 熱海富士・霧島戦から始まり、安青錦が熱海富士、霧島を倒して優勝。

 熱海富士に優勝させたいと思ったが、ここは安青錦がいい。左足はパンパンに張れているらしい。安青錦を手放しで賞賛すべきである。

 まあとにかく酒飲みタイムのテレビ番組が終わってしまった。

 今場所の印象として、「土俵は狭すぎるのではないか」と思う。土俵の広さは場所ごとに変わるものではないが、そんなことを思う。
 
 大の里と豪ノ山の一番では、相撲の勝ち負けの判定がはっきりしていないことがはっきりしてしまった。

 それに行司の動きがみっともない。土俵を逃げ回っているようだ。

 勝敗に関することではないが、お相撲さんの名前に笑ってしまうと言っては失礼だが、どう理解したらいいのかというのがある。

 「凌駕」これが名前になるとは思わなかった。こんな難しい名前を付けることはない。「朝の山」とか「春の海」といった簡単なものがいい。

 きのうの狼雅と朝紅龍の取り組みだったと思うが、仕切り直しとなった。それを指示したのは行事ではなく審判員。

 行事も力士たち戸惑っているような感じだった。
 撮り直しを指示したのはまたもあの九重。

 土俵は始まりから終わりまで力士と行司の世界としてもらいたい。

 土俵外の審判員の指示によって土俵が左右されるというのは、きのうがそうであったように、土俵の緊張感が薄れる。

 九重のことは何度も書いているが元千代大海。若い頃は九州一の悪ガキと言われ、悪さをし尽くした男。

 なにか目立とうとしているような気がする。大の里と豪ノ山の一番に物言いを言ったのも九重。
 
 審判員からの仕切り直しの判定というのはあまり前例がない。そのことを指摘する審判員はいなかったようだ。

 目立とうとするのは悪ガキの習性。節度を持つということが判らない。

 考えてみれば相撲は乱暴者の集まるところ。行き過ぎがあることは防ぎようもないが、スポーツとして取り組んでいる力士ももちろん多い。

 そういう力士や審判員たちが、乱暴者の言動で委縮するようなことがあってはならないと思うが、相撲の世界も長いものには巻かれろ。

 「長いもの」は悪をやってきた人間が持つ、「なにやったって警察なんてちょろいもんだ」という度胸であることが多い。

 ブルガリア出身の元琴欧州が審判員になっているが、うつむきかげんの姿を見ると「私には特に意見はありません」と見える。

 日本で暮らしていくにはそういうことになるだろうなと、彼を見ていていつも思う。

 

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