どう生きるかは消去法

つぶやき

 自分らしく生きることは大事だが、自分らしく生きるのはそう簡単なことではない。まず何が自分らしいことなのかが分からない。

 自分らしく生きることの人生の最初は職業の選択。一般的に言えばどういう会社に就職するか。自分が分からないうちに人生を決めることになる。

 会社というところは仲良しグループではないから、多くの若者は会社に入って幻滅とか失望とか人間関係の汚さというものに気づく。

 その後どうするかは自分の考え次第。我慢して残るか転職するか。

 何が自分かは見つけるものではなく消去法ではないか。生きる上において何が嫌いなのかを知ることは難しいことではない。イヤなことを除いたものが自分ということになる。それで生きていければ人生最高。

 学校は知識を得るところであるが、自分の能力を知るところでもあり、社会における他人との位置を知るところでもある。

 一流大学に入れなかったということは受験に失敗したということもあるだろうが、一流の世界に入らないほうがいいということを教えていることでもある。

 世の中幸いなことに一流だけで成り立っているわけではない。人生二流の人は二流で生きた方が生きやすい。

 中学3年生の終わり頃、すでに印刷会社への就職が決まっていて、中卒の印刷職工ということにヤケになったわけではないが、成績の悪い就職組の同級生と授業をさぼったりしたことがあった。

 ある日同じ就職組の、クラスで成績は最低という同級生が何を感じたのか、「あなたはそういう人ではないでしょう。みんなを引っ張って行かなければいけない人だ」と私に真剣に注意した。

 それから30年ほど経って同窓会を開いた。私が幹事を務めた。
 私を注意した同級生は中学を出て郵便局に勤めたらしい。

 私の席に来て、同窓会を企画していただいて感謝しています、というようなことを述べて、他の幹事の分も一緒に手土産を置いていった。

 会が終わって出席者名簿を見てみると住所は郵政省家族寮となっていた。女房子供もいるらしい。

 学校の成績が悪くても真っ当な人生を送っている人がいる。

 あの体を張るようにしてまでなぜ私を注意したのか。彼の切羽詰まったような表情が忘れられない。

 ちゃんとした人はちゃんと生きていかなけれはいけないんだ、ということを言ったような気がする。

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