感傷といえばセンチメンタル。
センチメンタルといえばセンチメンタル・ジャーニー。
センチメンタル・ジャーニーといえばジャニーギター。
ジャニーギターといえばマリリン・モンロー。
どうもどっかで思い違いをしているらしい。いろんな映画や歌手の名前がこんがらがっているようだ。
高齢者は思いにふけることが多いが、どうもふける記憶が曖昧なものになってきた。
多分夜間高校の国語の時間だったと思うが、「感傷について」という一文が教材にあった。三木清の「人生論ノート」の内の1節だった。
当時感傷という言葉を知っていたが、悲しいことやつらいことを思い出して感慨にふけること、というように理解していた。
間違っているわけではない。若い心には大人の世界を思わせる魅力的な言葉であった。
この一文で筆者は、感傷とは過去を振り返って、悲しいとか寂しいという気持ちに心をゆだねることではあるが、感傷とは立ち止まることで先に進んで物事の中に入らないことだ、というようなことに全文を費やしていた。
「感傷について」という題なのであるから、なにか悲しく寂しい、例えば男女の別れなどについて書いてあるのかと思ったらそうではなかった。
その授業が終わって、感傷とはそういうものでもいいが、だが感傷とは立ち留まって先に進まないから感傷なのではないか。先に進んで物事の白黒がはっきりしたら、なんの感傷もないではないか、などと考えた。
センチメンタル・ジャーニーはなんのために行くのか。悲しい思い出を消すためか、悲しい思い出を慈しむためか。
あずさ2号の女性は「あなたから旅立つ」ために信州に向かった。
人生には感傷が必要である。人生は喜びに充たされればいいというものではない。感傷によって充たされる心の隙間というものがある。人間生きている限り感傷は誰にもある。
青空文庫で60年ぶりに原文を読んでみた。最後に「感傷には常に何等かの虚栄がある」という言葉があった。
どういう意味なのか。虚栄というのであるから嘘をついているということになる。何に嘘をつく。
感傷は悲しいことだが、楽しいことでもある。人は感傷にかこつけて感傷を楽しんでいるのではないか。そんなことかなと思う。


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