話は通じないものである

つぶやき

 話が通じない日本人が急増しているという話があるが、そうだろうか。
 
 そうだろうか、というのは「話が通じない」ということではなく、「急増している」ということである。

 昔から日本人は話が通じないことになっている。いまさら増えたり減ったりするようなことではない。

 日本人は口数が多い人間をあまりよく思わない。田舎に行くと特にそうである。農業はしゃべっている暇があったら手を動かせということである。

 田舎の人が黙って聞いているから自分の話に感心しているのかと思ったら大間違い。こんなに喋る男はろくなもんじゃないと田舎の人は思っている。

 考えてみると小学生の頃から、人に伝わるような話し方とか文章の書き方というもの習ったことがない。

 弁論大会とか作文の時間というのはあったが、人によく伝わる話し方とか文章の書き方ということを目的にした授業はなかったように思う。

 日本人は10年間学校で英語を習っても話せないという話があった。語学を学問と捉えていたようだから、文法は教えても会話は学問にならないと考えていたようだ。

 日本は根回しの社会であった。若い頃建築会社に就職して初めて知った言葉がある。「社内営業」

 それまで中学を出てから印刷職工であったから、「社内営業」という言葉に突拍子もないものを感じたが、なるほど会社とはそういうものかと納得したようなところもあった。

 息子が大学を出て、まあまあ大きな会社に就職をして、プレゼンテーションなどと言う言葉を使うようになった。

 社内営業や根回しといったものがプレゼンというものになったということだろう。プレゼンはワープロの普及によって始まったという話がある。

 まあしかし人生を振り返り、話が通じたこともあるが通じないことも多かった。

 人生他人と関わって生きていく年齢の時は、相手に話が通じないことを予定に入れておく必要がある。

 相手に通じないことによってずいぶん損をさせられることがある。

 人生とはこの損を含めたものを言う。

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