今日まで生きてみましたにしては若すぎる

つぶやき

 今週も終わる。
 今週もいつも気になるゴミ捨てをなんとかやり切り、新しく血圧や歯の医者を決めて、金曜日の孫の演奏会に行くか行かないか判断しなければならなかった。

 家内は東京科学大学病院や、知人の展覧会で出かけることになっていた。
 
 大したことではないが、やらなきゃいけない予定とか、普段家にいる人がいないとか、こういう歳になるとこんなことが結構気を煩わすものである。

 過ぎてしまえば気にすることなど全くないのだが、孫の演奏会に出かけていく体力的自信がなかった。多分せがれがビデオにするだろうから、それを拝見して勘弁してもらおう。

 しかし去年大学入学時からバイオリンを始めて、ファーストバイオリンの2プルトに座ってベートーベンの7番を弾く。とても信じられない。

 トラだらけのよっぽど下手なオケなのか、孫がわずか1年でバイオリンを弾きこなしたのか。ビデオを楽しみとしよう。

 寝床に入る前、久しぶりにアンプに電源を入れた。実は難聴が進んでこの1年近くオーディオにさわっていない。

 「わたしは今日まで生きてみました」という歌が繰り返し聞こえる。

 吉田拓郎氏の「今日までそして明日から」という歌。なかなか考えさせられる歌である。

 「わたしは今日まで生きて”み”ました』で、「わたしは今日まで生きて”き”ました」の間違いではないらしい。

 だが拓郎さん。あなたがこの歌を作ったのはおいくつの時?

 「生きてみました」なんて、人生はくだらないけど生きてみた、という言い方ではないか。

 生きてみたけどこうだった、ああだったと分かったようなことを言うのは年老いてからのことだよ。
 年老いたって心ある人はそんなことは口にしない。

 生きることの不確かさを、自分のせいと他人のせいの両方歌っている。ずるい言い方ではないか。人生がよくないものならばそれは全部他人のせいに決まっている。

 生きていくことの恥ずかしさを知っている人と思っていたのだが。
 でもこの時は若すぎたのかもしれない。

 今晩も地震が来ませんように。

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