どういうわけか山本周五郎の「さぶ」を読み終わった。学生時代に読んだことはあるが、細かな部分は忘れている。愚鈍なさぶと利発な栄二の物語というぐらいのことしか覚えていない。
昔、有楽町に、そんなに広い劇場ではなかったが芸術座という演劇専用劇場があって、そこで「さぶ」を舞台劇として見たことがある。
さぶは中村吉右衛門(2代目)、栄二は市川染五郎(6代目)の配役。
吉右衛門さんは24歳。染五郎さんは26才だった。
どうして舞台劇など見に行ったのだろうかと思うが、記憶が定かではない。
芸術座は発足してから間もなく「がめつい奴」という演目が大当たりとなり、商業演劇の聖地のようになった。
中山千夏さんがまだ10歳くらいで出演していたが、その千夏さんも今は77歳。森光子さんの放浪記もこの芸術座。
さぶの舞台もほとんど覚えていないが、吉右衛門さんのさぶが染五郎さんの栄二より背が高くて、それでいて気弱で愚鈍を演じるのだから、なんかちぐはぐな印象を受けた記憶だけがある。
以来吉右衛門さんにはさぶのイメージが残っていて、テレビで鬼平を演ずることになったときも、どうもあの気弱でのろまなさぶを思い出してしょうがなかった。
何十年ぶりかで読み返してみたが、なんとうっとうしい話だろうかと思った。
ウィキペディアで「山本周五郎」見ると、映画監督の篠田正浩の言葉が掲載されている。それが意外な内容。
山本周五郎が庶民の哀感のようなところにスポットを当てたとする見方に対して「それは嘘です。あの人は庶民なんか信じていないでしょう。そういう読まれ方をされていることが口惜しかったのではないですか」
「周五郎の作品は観念小説です。どこにもリアリズムがない。もうほとんど空想小説といってもいいぐらいでしょう。聖書のように書いているんじゃないかな、物語をね」
と独自の周五郎像を述べている。
言っていることが判る気がする。誤解を受けるような表現もあるが、「どこにもリアリズムがない」という指摘には納得する。
さぶも栄二もおせんも幸太もみんないい人達だった。
「彼らは“現実の庶民”ではなく、倫理的・宗教的象徴としての人物」
感動するわけだな。



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