歌わないほうがいいという歌もある

つぶやき

 朝から書くようなことではないことを書いている。

 きのう「再会」という歌を聞く。聴きたくて聴いたということではないという意味で「聞く」と書いた。
 「昭和30年代の流行歌」という懐メロCDの中に入っていた1曲。

 歌っているのは松尾和子さん。もともとジャズシンガーだったが、歌謡曲の世界に入り、フランク永井とのデュエットやこの曲などのヒットで人気歌手になった人である。

 この曲を初めて聞いたわけではない。多分中学生の頃だったと思うが、当時すでに人気歌手になっていた松尾さんの新曲として、テレビでよく流れていた記憶がある。

 この曲が出たとき「再会」という曲名に、歌謡界というより世間は驚いたと思う。今までの歌謡曲の曲名にはない何かとてもシャレたものを感じたからである。中学生でもそのくらいのことは判る。

 しかし歌詞の内容はシャレたものではなく、刑務所に入った男との再会を待ちわびる女の歌である。歌詞では刑務所ではなく監獄となっている。

 どういうことなのか。監獄に入った男はどういう人間なのか。無実なのに監獄に入ったのか。人を殺したやくざなのか。

 「みんなは悪いひとだというが/わたしにゃいつもいいひとだった」と歌う。やくざの情婦という女性がよく口にする言葉である。やはりこの男はやくざなのか。

 昭和歌謡に「待つ女」を歌った歌は多いが、監獄帰りの男を待つ女を歌ったのは後にも先にもこの曲だけである。

 この曲はヒットした。しかし「監獄の壁」という歌詞のある2番は当時のテレビ放送でカットされていたらしい。

 危険な現実をロマン化する「再会」という歌謡曲。

 少し前、女性が待っているのは戦地から帰ってくる夫や恋人であった。それから15年後、監獄から帰る男を待つ女でなければ歌にならなくなってしまった。

 戦後の経済成長の中で、世の中如何に病んでしまったか。それを物語る歌である。

 中学生の時この曲を聴いて記憶にあるというのは、反社会的な歌だの監獄だのということではなく、松尾和子さんの歌い方がイヤであったからである。

 ハッキリ言えばまとわりつくようにいやらしい歌い方である。私はいくら多感な時期であっても、こういうスケベったらしい歌い方は好きではない。なんの魅力も感じなかった。

 松尾さんの本来の歌い方ではなかったかもしれない。彼女は後年、五月みどりさんなどと一緒に、大人の女性の色気を売り物とするようになった。五月さんと共に品のない大人の色気であった。

 松尾さんは階段から落ちて亡くなった。57歳だった。過度の飲酒によるものという報道もあった。
 松尾さんは睡眠薬による自殺をはかったこともある。

 息子さんが麻薬違反で捕まったということが大きく報じられた。

 息子さんは悪質性から実刑となって刑務所に収監された。松尾さんは息子さんの収監中に亡くなっている。

 息子さんとの再会はできなかった。それをオチにする気はないが、晩年はずいぶんすさんだ人生のようである。

 「再会」など歌わず、自分らしい、もっと真っ当な歌を歌っていればこんな人生にならなかったのではないかと思う。

 松尾和子さん。華やかな人であったが、寂しい人生を送った人でもある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました