本当の味を知らない。

つぶやき

 我が家は50年来の朝風呂。今年になってお湯の入れ替えを2日に1回から毎日変えることにした。

 一晩でも湯をそのままにすると雑菌が繁殖するという話は以前から知っているが、毎日というのはもったいないという気がしていた。

 だがやはり雑菌は繁殖するらしい。年取って身も心も枯れてきたから繁殖するような雑菌はないと思うが、金を持ってあの世にはいけないという話もあるから、この際清水の舞台ということになった。

 現役の頃は6時頃に風呂から上がって、朝食までの時間をその日の書類の仕上げにあてていたが、今はその時間にブログを書くことが日課のようになっている

 パンツ一枚でバスタオルを首にかけ、扇風機を回してキーボードをたたきながら汗がひくのを待つが、今日あたりからパンツ1枚というわけにはいかなくなった。秋がもう来ているのだなと感じる風呂あがりである。

 何日か前、近所の温泉好きの奥さんがなめこを持って来てくれた。信州湯田中温泉に何泊かしたらしい。そのお土産。
 家内がフランスの紅茶を土産にしたからそのお礼なのかもしれない。

 このなめこがものすごくおいしい。いままでこんななめこを食べたことがない。味噌汁にしてもおろしあえにしてもちゃんと味がある。

 ”香り松茸味しめじ”と言うが、キノコのおいしさというのはそんなに強く感じるものではない。踊り出すほどおいしいという舞茸も、いままで一度も踊ったことがない。

 何年か前まで別所温泉に松茸を食べに出掛けていたが、確かに1本1万円という地元の松茸はおいしいとは思うが、他のものはどこの産なのかも不明で格別おいしいということはない。

 どうして同じものにおいしさの違いがあるのか。都会に住む人はスーパーにでも行けば豊富な食材に恵まれているが、本当のおいしさを知らないのではないか。そんな話が昔からあった。

 これだけ同じものに味が違うということは、意図的にそうなっていると考えなければ説明がつかない。

 おいしいところは産地で消費してしまう。都会に送られてくるのは都会用に作った量産品。ま、そんなところだろう。量産品という言葉は農産物にも海産物にも言えることらしい。

 魚の量産品とはどういうことかと思ったが、釣り方とか、海からの引き上げのやり方とか、運搬の仕方とか、高級として売る魚と普通の値段で大量に売る魚とは同じ種類の魚でも取り扱い方が全く違うという。

 つまりなんでもおいしいものを大量に作ることは出来ないということなのだろう。

 豆腐はスーパーで1丁50円くらいから600円というものまである。
 50円の豆腐も600円の豆腐も同じ豆腐であるが明らかに味が違う。別物である。 

 おいしいものにすると高くなる。食べ物はおいしくて当たり前。
 本当はもっとおいしいのにおいしくないものを作る。商売となるとそういうことになるのだろうが、やはり変だなと思う。

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