イスラエルが今度はトルコを敵とするらしく、そのことについてトルコの外相が、「イスラエルは敵なしでは生きられない」と、テレビインタビューで述べていた。
「敵なしでは生きられない」
国を一致団結させるには、外に敵を作ることだとするのはヨーロッパに限ったことではなく、日本も昔からそうであった。今の時代でも高市さんはその手を使っている。
「イスラエルは敵なしでは生きられない」という言葉は、ピッタリのような気がする。ネタニアフは、「敵なしでは生きられない」という顔をしている。
ネタニアフは別として、人にも「敵なしでは生きられない」ということはあるのだろうか。
敵を作ってそれを生きる力にしている人がいる、ということがネットにあったが、そういう人もいるかもしれない。
だが鬱陶しい生活だろうなと思う。
ネットには、「いかにして敵を作らずに生きていくか」という事はたくさん書かれている。それが普通である。まあ通り一遍のことしか書いてないが。
ブログの掲載を始めたころ、他人様はどんなことを書いているのかとブログをひと通り見たことがあるが、人間関係の難しさのようなものを書いている人が結構多い。
職場に協調性のない人がいて嫌な思いをしたとか、最初から理由もなく敵愾心を持っているような人が何人もいたとか、そんな話が多かった。
私もそんな経験がいくつもある。
しかし協調性のない人間はどこにもいて、これは悪い病気のようなもので治しようがない。
協調性がないのに勤め人を続けるしか能がないから転職を繰り返し、いずれはどこに行っても放り出されることになる。
理由もなく敵愾心を持つような人間は単に愚かな人間ということである。
優秀な人間は敵愾心を隠す。
敵愾心で自分の立場を守ろうという意識があるのかもしれないが、こんなことしか考えられない人間が真っ当な人生を送れるはずはない。具体的に書くと差し障りがあるのでこれ以上はやめておく。
では協調性のある人間がいい人生を送るかと言えば、必ずしもそうではない。さんざん職場をたらい回しされて定年になって、女房がコンビニで働いてくれると喜んでいる程度の男であることが多い。
確かに人間関係は難しい。しかし人は人間関係で食べていくのは間違いのないことだから、人間関係を持たない訳にはいかない。
いずれ人間関係を断ち切っても生きていけるようにすることが働くということではないか。
人間関係を断ち切って生きていける人が人生の成功者ということになる。
イヤな人間関係は必ず相手が行き詰る。若いうちは気になるだろうが、イヤな人間は必ず自滅する。放っておけばいいのである。
人間関係は大事だというような言葉に騙されてはいけない。人間生きていく以上、人間関係がうまくいくはずはないのだ。
高齢になったら、バカらしい人間関係を笑い飛ばせるような生き方をしていることが大事である。


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