「ゲイのためなら 女房も泣かす
それがどうした 文句があるか」
「浪速恋しぐれ」実にくだらない歌である。
「ゲイのため」に女房を泣かすなら、結婚しなけりゃいい。
「女遊びは芸の肥やし」例えば女形の役者が女郎の演技をするときなど、遊んだ女の仕草に演技のヒントを得るかもしれない。それ以外は単なる女好きということである。
中村芝翫という男はただの女好きである。それ以上の芸もない。
「女遊びは芸の肥やし」となると、やはり松本人志ということになる。
「普通の人にはできない遊びが、まっちやんの芸を生んでいる」と、女遊びは芸の肥やしとしてかばうファンがいるらしい。
バカ言っちゃいけない。単なる女好きなだけである。
松本人志の漫才を聞いて面白いと思ったことはない。特に松本に関しては奇怪という印象しかなかった。
「ただ下品なだけ。笑えない。それこそ『笑ってはいけない』です。『松本アウト』ですよ」、と言ったのはデーブ・スペクター氏。
氏の言う通り「下品」ということに尽きる。下品ということがテレビにおいてもっと問われるべきである。
意外な言葉が目に入った。あるベテラン漫才芸人が、まだ若手だったダウンタウンの漫才を聞いて彼らに言った言葉だそうである。
「漫才師やから何をしゃべってもええねんけども、笑いには良質の笑いと悪質な笑いがある。アンタら2人のは悪質の方の笑いや」
これを言ったのは、やすきよ漫才の横山やすしである。あの破天荒なやっさんがこんなことを何拾年も前に言っている。
ダウンタウンの漫才は「悪質」なのだ。それをテレビが天才にしてしまった。
天賦の才能がなければ、あれほどまでの芸人になっていなかったはずだ、という見方がある。
タケシに対してもそんな言い方がされるが、「下品」で「悪質」なだけで人気芸人になるのがテレビである。
あれほどまでの芸人になっていなかったはずだ、ではなく、はなから芸人になっていないのである。
デーブ・スペクター氏と横山やすし氏の言葉は、昨日の毎日新聞の夕刊に、《「女遊びは芸の肥やし」は本当か》と題する特集記事に掲載されていたものである。
松本人志がテレビに戻らなければ、テレビは少しはましになることは確かなことである。
松本人志の何が天才なのか、それこそ1億総白痴である。



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