人生はやはり生きること

つぶやき

 今年の梅雨はよく雨が降る。

 子供の頃梅雨が明ければ「盛夏」。今思うといい言葉であった。カラッとした青空だった。

 今年は6月に30度を超える日がなん日かあったが、ももひきを履くような日もずいぶんとあった。 

 来週の後半からは35度を超す日が続くという。

 むかしと言っても昭和30年頃、東京の夏は30度前後。30度を超えるというときはニュースになった。

 現在は40度を超えることが珍しくない。今年から気象庁は40度を超える日を酷暑日と呼ぶことになった。

 トランプは地球温暖化を認めない。金と女のことしか頭にない。

 武蔵村山のショッピングモールに出かけたが、多分日曜日に行くのは初めてのことではないか。道路は渋滞。店内はごった返していた。

 昔は駅前の商店街のそぞろ歩きというのがあった。夏の夜は浴衣を着て家族で街中を歩いたものである。

 きのうニュースだったのか何かの特集番組だったのか、こんな言葉があった。

 「世界に比類なき2000年もの長き皇統の歴史を、現代の価値観をもって論ずることは、あまりにも浅薄である」

 どこかの私大の教授という人の言葉だが、皇統は神につながるものであるという価値観で皇統を論ずることはもっと浅薄ではないかと思う。

 夜9時からのテレビを見る。NHKスペシャル「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」

 養老さんは今年88歳。2年前に肺がんを発病。それもあまりよろしくない小細胞肺がん。

 「バカの壁」を読んだことがあるがほとんど理解できなかった。自分のバカを知る本であった。

 養老さんは若い頃から「生と死」を考えて生きてきたらしい。

 この番組に終始流れていたのは「人生は結局判らない」という養老さんの言葉。

 肺がんの治療は一進一退。影が薄くなったところもあれば、新たに発生したがんもある。転移が生じている。東大の医師はあまりいい状態ではないと言う。養老さんはそれを受け入れる。

 番組の最後の頃、転移したがんがほぼ消滅していることを医師から知らされる。「まだ生きられるようだ」。そんな言葉があったような気がする。うれしそうな養老さんの顔があった。

 養老さんの往生際は生をあきらめることではなかった。生と死のはざまの中で生き続けることが往生際のようであった。

 それでこその養老さん。死は死んでみなけれは判らない。死を達観した養老さんを見たくないと思っていた。

 明日は私のがん検診。3カ月前までまだ転移はしていない。もし転移があったら思い切りあたふたすると思う。

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