夜中に目が覚める

つぶやき

 夕べは9時前に布団に入って10時からの報道ステーションをチラッと見たが寝てしまったらしく、小便で目を覚ましたのは2時過ぎだった。

 歳のせいだと思うが、最近夜中に目が覚めることが多い。前立腺がどうの膀胱がどうのということは気にしないことにしている。

 トイレから戻って、また寝なくちゃとは思わない。ラジオでも聴きながら朝まで布団の中でぬくぬくとしていることもあるし、いつの間にかまた寝てしまうこともある。

 良質な睡眠が大切と言われているが、高齢者は昼寝をしようと思えば何時でもできるのだから、何がなんでも寝なきゃいけないと思うこともない。

 しかし気になるネットの記事があった。寝しなにちょっとスマホを手にしたら、「ほぼ毎日昼寝するする高齢者は認知症リスクが50%近く上がることが判明」というアメリカの研究内容が掲載されていた。毎日昼寝をするのは家内である。少々心配になる。

 布団の中でスマホを見るのは良くないらしいが、昨夜は夜中に目が覚めてからも自分のブログをなんとなく見てしまった。ブログを書き始めた年の暮れのもので、「来年は76になる」と書いてあった。

 その76からもう4年が経とうとしている。ブログを書き始めた年を入れると5年ということになる。この間何をしてきたのかと考えてしまった。

 孫は高校を卒業し早や大学2年生。成長する若者には充実の期間であるが、老いさばらえる身にはただ時間が過ぎただけのことである。

 ただ時間が過ぎていく中に身を置くしかないという経験は以前にもある。不動産屋をやっていた時バブルが崩壊して、不動取引は一時全くゼロと言っていいほど停滞した。

 来年は良くなるのではないか、今年の秋頃には少しは回復するのではないかと思うだけで、一向に情勢は変わらない。貯えは底をつきそう。

 不動産業に見切りをつけ資格商売を始めようと思ったが、1年で受かるものと考えていたものがそんなに甘くなく、試験に落ちれば来年7月までどうしようもなく時間を過ごすことになる。

 落ちた原因が自分でも分かって、来年に満を持すというのなら充実した期間といえるが、自分がこれで良しと思っていた勉強方法が否定されてしまうとどうしようもない。悶々と過ごすことになる。

 年齢と病気でリタイアしてからのこの数年、悶々と過ごしたわけではない。リハビリに精を出したという期間だが、しかし何故かこの期間に記憶に残るものが無い。目新しいことをしたわけではないからないのが当たり前。

 日本語で「リ」と発音する「re」には再びという意味があると理解しているが、リタイアのreには「再び」とか「戻る」という意味は無いらしい。

 過ぎた日々は走馬灯のようにと言われるが、私の走馬灯には何が映るのだろうか。充実した時間より無為に過ごしたあの時間のような気がする。

 しかし無為に過ごした時間を懐かしく思い出せるというのは、いい人生を送ってきたからということである。

 問題はこれからの無為な時間。何年続く無為な時間なのか分からないが、懐かしく思い出すということはないと思う。

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