結局何だったのかで終わる

つぶやき

 ブログを始めて4年が過ぎた。時間つぶしと便痛のために始めたブログ。
 
 よく続けたなという想いはない。時間はつぶさなければならなかったし、椅子に座ることは便意をもよおす。

 駄文を書くことで時間が過ぎてくれる。有難いと思う。高齢者の手持ち無沙汰はみじめである。

 便通の効果はある時はあるし無いときは無い。便りというものはそういうものである。

 仕事をやめて便秘がちになったが、ブログを始めてからまた便意を感じるようになった。

 全く便意をもよおさない日の翌日がつらい。「肛門に固い便」ということになるらしく、腹は痛いし便意はあるのに出てこない。あまり力んでは脳卒中。

 結局人生は何だったのだろうか。

 唐突だが、時間つぶしと便痛のためのブログは、こういうことも考えることになる。時間つぶしと便痛は人生に近いのである。

 繰り返すが、結局人生は何だったのか。

 「結局」という言葉になぜか重みを感じる。

 結局という言葉は高齢者のためにある言葉だと思う。

 だがいい意味で使われることが無い。結局そういうことなのである。

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