8月も今日1日。子供の頃、夏休みの宿題が終わらない日であった。
あれから数十年,70代最後の8月31日。人生の終わりを感じる日になった。
8月は命の躍動の月。もうあの若さの8月を迎えることはない。これから本当の年寄りになるのだと思う。
晩夏、晩秋。夏の終わりは寂しい。秋の終わりも寂しい。
晩夏は“名残り”の寂しさ。晩秋は“諦め”の寂しさ。そんな言い方ができると思う。
どちらの寂しさがより深いかということではなく、人生は名残の寂しさから諦めの寂しさとなるもの。だが名残の寂しさには結構気持ちにこたえるものがある。
晩という字にすこし戸惑っていた。晩とは終わりに近いという意味だと思うが、夜のはじめという意味合いもある。
晩婚は遅い結婚で間違いないが、晩年には早い晩年と遅い晩年がある。
早晩という字は早い晩のことではなく、遅かれ早かれという意味になる。早いと遅いという晩の字をくっつけただけのことらしい。
人生は晩年を迎えて終わりとなるが、晩年はいつのことを言うのか死んでみなければ分からない。
幸せな晩年だったのか寂しい晩年だったのか、それも死んでみなければ分からない。
私もいよいよ晩年。この歳になればいつ死んでも普通の晩年となる。
晩年は自分のことなのに自分の口では語れない。他人が語るものになる。
私の晩年を誰か語ってくれる人がいるだろうか。語るものが無いと断られるだろうが、語るものが無いから晩節を汚すこともない。
70代最後の8月31日に思いを込めて、さらば過ぎ去りし日々。


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