時代劇はそれでいいのだ

つぶやき

 今日も暑かった。35度くらいになったらしい。

 台風13号は沖縄地方を直撃。大木が倒れている映像があったが、樹も大木になると柳に風というわけにはいかないようだ。

 朝からエアコンを効かした部屋でソファに横になって過ごしている。

 窓越しに夏の青空を見るが、出来たら死にたくないなと思う。

 いきなりの話だが、死が迫っているというわけではない。死んだらこの景色も、家の前を通る人の姿も、なんでもかんでも見ることができなくなるのだなと思う。

 別に悲観的になっているわけではない。イヤなことがあっても、いつも見る景色や日常を見ていたい。生きているということはそういうことだと思う。

 熊本総合病院の手術中に起きた熊本地震の映像を見たがものすごい。グラグラなんてものではない。患者を守る医師の姿に感動した。

 このところ気持ちの動きというようなものを感じる。結構冷めた人生観を持っているから、感情に左右されるということはないはずなのだが。

 感情を感じるというのはテレビの大岡越前。そんな程度と言っては制作者に失礼かもしれない。

 今日の話は、好きな男をかばうため自分が犯人だと名乗り出る娘の話。

 男は、娘が自分が犯人だと名乗ってきたことを知った時、今まで身に覚えがないと言っていたのを翻し、私がやりましたと白状する。

 もちろん犯人は別にいる。はりつけ獄門を覚悟した二人のかばい合い。いい話ではないか。

 大岡裁きの話に、生みの親と育ての親の話があるが、二つの筋立てがある。

 ひとつは、どちらが真の親と言えるか子供の腕を引っ張りあって決めるという裁きと、もうひとつは、娘の乳房の左右どちらかの下にほくろがある。真の親ならそれを知っているはず、という裁き。

 引っ張り合った生みの親と育ての親。手を離したのは育ての親。

 乳房の話では、育ての母が正しいとして、乳房を見せようとする娘を育ての親がたしなめる。「嫁入り前の娘に公衆の面前で辱めを受けるような育て方をした覚えはない」

 不破哲三さんは昨年12月30日に亡くなられている。政治から引退され、テレビで時代劇を見ることが楽しみだと語っていた。

 あれほどの人物。議論をし尽くした人生だと思う。でも晩年は時代劇が好きだった。好きではなかったかもしれないが、なにか納得したものがあったのかもしれない。

 不破さんは新宿高校の出身。優秀な頭脳の行く先は共産党となったが、晩年は時代劇を受け入れた。
 
 生きていることは素晴らしいと思わなければ生きる意味がない。

 作り話は大事なものだと思う。作り話にしか真実がないのがこの世というものだ。

 熊本の人々には本当に申し訳ない。今晩も地震が来ませんように。

 

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