わかってない人生

つぶやき

 以前も書いたことだが、立花隆さんは東大における特別講義の最終日に、「君たちはこれから数年以内に人生最大の失敗をいくつかするだろう。なぜこんな話をするかと言えば、君たちがどれほどものを知らないかを教えるためです…」と述べていた。

 最後の講義の、いわば別れの言葉に「君たち若者には無限の可能性があります」などと、どこかの教育委員会の代理人が言うような言葉を使わないで、こんな話をする立花さんはさすがだと思った。この事もすでに書いている。

 そして立花さんの言葉に比して、「巨人軍は永久に不滅です」という長嶋さんが引退式に述べた言葉の、空虚さ、無責任さ、これを言えばウケると思う軽薄さについても書いた。

 私は息子の結婚式のあいさつで「私の宝でした」と述べてしまった。私は長嶋さんと同じなのだと、今でも自分の浅薄さに恥ずかしい思いをしている。

 立花さんは若者たちに「君たちはどれほどものを知らないか」という言葉を使ったが、「君たちはどれほどものをわかっていないか」ということではなかったかと思う。

 「わかっていない」は「知っていない」よりきつい言い方である。立花さんは「わかっていない」では、人をバカにしたことにもなると、それを避けたのだと思う。

 我が人生振り返り、つくづく「わかっていなかったなあ」と思う。

 言葉の社会性というものが全く身についていない母であったが、あの沈黙をわかってあげなかった。あの涙さえわかろうとしなかった。

 心無い言葉をずいぶん言ってしまった。なんにもわかっていなかったと思う。

 人間目と耳はふたつずつあるが、口は一つしかない。それも口は食べるためにあるもので、話すことは人間が長い時間をかけて手に入れたもの。

 見るだけ聞くだけにして、口は食べること以外にあまり使わないほうがいいということなのだろう。先人の言葉である。

 だがしかし世の中、私だけでなくわかっていない人が多い。不愉快な思いをさせられるのは、わかっていない人と仕事をしたときである。

 「わかっていない」は、解くべき問題がわからないのではなく、人生何が問題なのかがわからない、気がつかない、ということである。

 我が人生、わかっていなかった。この事だけは、できるものならやり直したいと思う。

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