働き甲斐のある仕事とない仕事

つぶやき

 私はまともな会社に勤めた経験がないので、会社勤めの働き甲斐というものが分からない。

 会社にもいろいろあって、働き甲斐に結び付くような仕事もあれば、今日は何人客を騙したか、ということが仕事というところもある。

 物を作る会社にはモラルがあるが、物を売る会社にはモラルがない。よく言われることだが、そうかもしれない。

 例えば建築会社に就職して、四国の大きな橋を完成させたとか、電器会社で世界で初めてビデオテープを発明したというようなことは一生働き甲斐になる。

 しかし証券会社とか保険会社に勤めたような人の働き甲斐というものはどのようなものなのか。

 私は物を作ったり売ったりという仕事の経験はないが、買うことが仕事であることの経験がある。建設用地の買収である。世間では地上げと言う。

 25歳くらいの時、300世帯ほどの大きなマンションションが建設できる用地の買収に成功したことがある。

 半年以上も、毎晩のように現地に出向いて、夜遅くまで何人もの地権者と交渉し、不愉快な思いをたくさんして、人間の欲の深さというものも教えられた。

 それから1年以上が経ってマンションが完成し、多くの家族がここで暮らすようになった。

 ベランダに干してある洗濯物を見ながら、あなたたちがここで暮らしているのはマンション建築会社や販売会社のお陰ではなく、私が苦労して地上げしたからだぞ、と思った。これは働き甲斐というものではなかった。

 定年を迎えると、「これからは自分の好きなことをやって、自分らしく生きていこう」という人が多い。事務職や営業職に携わっていた人達がよく口にすることである。

 私が38歳くらい、その人が40歳くらいの時知り合ったある信託銀行に勤めていた人は、定年後北海道をマラソンで回る苛酷な行動を自分に課した。

 私はそれを偶然NHKのテレビで観た。彼ではないか。なぜあの人がこんなことをしてテレビに映っているのか。

 その事情は分からなかったが、放送の中で彼は「こういうことをしないと、自分が今まで生きてきたことの意味が分からない」というようなことを話していた。こんなことをして人生の何が判るというのだろうか。

 定年になって今まで生きてきたことの意味が分からない、と言う人が結構多い、特に銀行員などがそうだ。
 
 みんな納得しないで生きてきて、老後になって急いで生きる意味を探しているように見える。

 若い頃も年取ってからも人生に意味などありゃしない。意味が欲しけりゃ面白がって生きる。意味が要らなきゃ淡々と生きる。それしかない。

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