本質を見抜くのは頭がいいということではない

つぶやき

 以前書いたことを繰り返し書くのは避けたいが、今日のテーマのマクラにはちょうどいいので書くことにした。

 中学2年の時の音楽の授業で、先生がト長調は何故シャープがファのところにつくのか、と質問した。

 クラスでの1番の生徒は、「長調はミとファ、それにシとドの間が半音ということになっているから、それをト長調にするとシとドの間が……」と応えて先生は「その通り正解です」とした。

 クラスで2番であった生徒は、「トを主音とするから」とひと言だけ答えた。

 先生はその答えを聞いて黙ってうなづいていただけで、正解とも何も言わなかった。

 クラスで2番であった生徒というのは私である。その後クラスで1番であった生徒は東大に進み、私は私学の夜間部に入った。

 「本質を見抜くのが早い人」というのは、「頭がいい人」ということだろうかと考えることがある。

 一般的には 「本質を見抜くのが早い人」というのは、「頭がいい人」ということになっているから、それについて考えるというのは、そうではないと考えていることになる。

 本質を見抜くのが早いことと頭がいいことは、一部重なる部分もあるが、全く別物ではないかと思う。

 人間の本質とか物事の本質というものは隠れているものではない。仮に隠れていたとしてもひょいとしたことから現れてしまうものである。だから本質なのである。

 表に現れているものを見ることなのだから、本質とは見抜くものではない。それなりの感性を持っていれば、本質というのは誰でも見えるものなのである。ただ確かに早いか遅いかということはある

 本質を見抜く人は直観的である。直観的であろうとする。「これはこういうことだ」と一気に核心に触れる。しかし体系的に説明するのは苦手なことがある

 頭のいい人はなにより本質というものを知る必要がない。そんなものを知らなくても知識を整理し、体系化しいつでもそれを引き出して論理的に説明できるからである。

 本質を見抜く人は直観的であるがゆえに知識の広がりが持てない。一気に核心に触れるが応用力が持てず、本質に拘泥する。

 頭のいい人は本質を知らなくても知識を整理し、体系化して保持できる。

 本質を見抜く人は“深さ”に強く、 頭のいい人は“広さと構造”に強いと言える。

 しかし本質を見抜くということは確かに“深さ”を感じるが、それが実社会において役に立つかというとそうでもない。意味のない深さなのだ。

 本質を見抜くのが早いというのは褒め言葉ではない。世間を狭くする言葉である。

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