誰もが違和感を持ったかもしれない。簗議員が記者の質問に答える時の顔つきである。実にしおらしい顔をする。
「そうかなあ。この人の本当の顔ではないな。この顔を恫喝顔に変えたら似合うだろうなあ」と思っていた。
そうしたら今朝の新聞の週刊誌広告には2誌とも、簗議員を「恫喝常習」と称していた。「支援しなければ交付金を減らす」確かにこれはどう見ても恫喝だ。
しおらしい顔をしていたのは、まずいことがバレてしまったから作り顔をしていたのだ。
恫喝顔に強い印象のある人がいる。ある有名な男性の華道家。
普段女性的ともいえる実に柔和な顔と言葉使いでテレビに出ている人が、付け人なのか弟子なのか、その人に実に険しい顔をして罵声を浴びせている場面をテレビが放送してしまった。
見たくない顔だったが、見てよかったと思った。以前から華道家として人気のあった人だが、私にはあの優しげな顔には嘘があるとしか思えなかった。
私の勝手な思い込みだが、人の良さそうな顔つきをしている芸能人がたくさんいるが、裏返しをしたらタチの悪い人間が結構いるのではないだろうか。
人当たりの良さで長いこと茶の間の人気者という落語家をどうも好きになれないのは、その人がどんなににこやかな顔をしていても、恫喝顔が容易に想像できてしまうからである。
だが、恫喝顔を弁護する気で言うのではないが、恫喝は特定の人間だけが行うものではない。誰でも恫喝する感情を持っている。それか出てしまうか出ないかである。
いつも不思議に思うのは、例えば兵庫県の斎藤知事とか、ごく最近のことで言えば横浜市長の山口氏などは、素晴らしい学歴と経歴を持っている人達だが、どうしてあのようなパワハラ発言をするのだろうか。
社会常識もインテリジェンスも身に着けている人が、なぜ理解できないようなパワハラ行為をしてしまうのか。
人の性質とか生きてきた環境というものがそうさせるのだと言っても、そんなことが行動の原点にあるようなレベルの人達ではない。高度な知識とか教養を身に着けるということは、高い社会性やモラルを身に着けるということである。
そういう人があえてパワハラ行為、恫喝行為をするとするなら、それ以外に原因があることに関心を向けなければいけない。
事実を肯定的に捉えるならば、日本の政治文化というか社会文化というか、その深層に「恫喝を生む構造」があるのではないか、と考えるのが自然である。
だが考えるまでもなく恫喝は古くから「統治の技術」だった。暴力や威嚇は、古代から社会秩序の形成に使われてきた。
自民党の歴史は恫喝の歴史ではないか。
知事や市長になることは権力を握ること。権力を握ればそれを保持する力学が必要になる。
権力を保持するには、もし逆らえば首がとぶ、という恐怖心を持たせることが効果的である。
極端な言い方になるが権力を保持するにはこれしかない。人は甘やかすとなめるのだ。
権力を握る者はハラスメントという概念を理解してはいけない。理解したら部下はその上司を尊敬しない。バカにする。
首長になれば結果を出さなければならない。しかし職員はそんなにやる気もないし、自分より能力の低い者ばかり。公務員になって楽に生きていこうとする者が役に立つはずがない。
恫喝するしかない。
そういうことなのかな。



コメント