ある女優さんが対談で、「役者が役者をできなくなっている」という話をしていた。若い頃シラケ世代の代表と言われた人である。
美人で愛くるしいから人気もあったが、わがままで生意気な人でもあった。その女優さんも今年70才。
映画に出ていたから女優ということでいいのだろうが、この人が「役者」という言葉を使うことに思わず笑ってしまった。
高齢者のいつもの勝手な言い方だが、役者とはもっとちゃんとした人が口にするものであるという思い込みがある。
今はどうであれ、若い頃チャラチャラしていた女優や男優を「役者」はもちろん「俳優」という言葉でも認めないのが高齢者の頑固というものである。
その女優さんのことはそれとして、確かに役者さんたちが出演するドラマがなくなった。
新聞のテレビ番組欄を見てみると、夕方6時以降ドラマらしき番組は時代劇を含めても一本もなかった。
今の日本に役者がいないということはない。ネットで俳優名鑑なるものを見てみると、まだまだ名優と呼ばれる役者さんたちが大勢いる。
しかし役者さんたちの顔写真を見ていると、この人が主演するドラマを見るのもしんどいな、うっとうしいなという気になる。
今の日本は「役者が役者をできなくなっている」だけではない。「歌手が歌手をできなくなっている」時代でもある。
なんでもかんでもできなくなっている時代になっている。
昔役者は「銀幕のスター」と呼ばれ庶民の憧れであった。役者は非日常なのである。
映画を日常にしたのは寅さんではないか。あんなブ男が映画で主人公をやっている。憧れが無くなってしまった。
今のテレビは、映画も同じだと思うが「憧れ」ではなく「感動」でもなく「共感」でもなく、「共有」である。立派そうなことやエラそうなことが受ける時代ではない。
「あんたかてアホやろ? うちかてアホや」と言ったのはアッと驚く為五郎であった。50年も前の話である。こんな言葉が流行った時代があった。アホなことである。
政治までが「国民の皆さんと共有してまいります」と語っている。政治は共有ではなく先導するものである。



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