大相撲秋場所は大の里の優勝。安青錦優勝の楽しみもあったが、ここは大の里の優勝がいい。3敗したがあの強い大の里が帰ってきたようだ。
表彰式を見るのが好きではない。大の里の涙は今日のニュースで知ることになった。
木村庄之助がこの場所をもって引退。千秋楽の一番を終えて引き上げる時、誰かが花束を渡そうとしたが受け取らなかった。
行司が目立ってはいけないという信念があるようだ。なにがあってもなくても「いつもの通り」ということらしい。面白みのなさそうな人である。
私より三つか四つは年上かと思われるかつての同業者に先日つまらないことで電話をしたら、リタイアしてからの楽しみはテレビで相撲を見ることだけだと言う。
そんなつまらない余生を過ごしているのかと思ったが、年寄りの生活とはそんなものだ。人の批判はするものではない。
私も相撲はよく見る。飲むときはテレビがついていた方がいい。4時頃から飲み始めるから中入り後の取り組みを見ることになる。十両あたりから見ようという気はないから、特別相撲が好きということではない。
4時頃には他のチャンネルで相棒の再放送があるが、このところ難聴が進んでほとんど聞き取れない。その点相撲は聞こえなくてもいいから助かる。
嫌いな解説者の話は聞きたくないし、家内から音量で怒られることもない
相撲は昨日負けても今日出られる。今日敗けても明日も出られる。ずっと敗けていても出ることができる。トーナメント方式ではないからそういうことになる。あたり前のことになっているが、不思議と思えば不思議である。
15日間の取り組みで、結果勝ち越せば勝ち、負け越せば負けという世界。なにより勝ち越さなければ勝ったことにならない。
特別好きな相撲ではないと言いながら、相撲が終わるとなぜか寂しい。
相撲が終わるとなにか物語を見終わったという気がする。
相撲は個人競技であるが、個人競技と言い切るにはどこか違う気がする。そうなら団体競技か言えばもちろんそんなことはない。
いろんな力士の15日間の勝ち負けが全部一緒くたになって、なにか大掛かりな芝居でも見終わったような気になる。
相撲はスポーツであると同時に興行。興行としての色合いが強い。いろいろな役回りの力士たちが15日間かけて物語を作っている。
勝つ者あり、敗ける者あり、上がる者あり、落ちる者あり、汚い手を使う者あり、やる気の無い者あり。
人生になぞる気はないが、人生そのものである。



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