相変らずこのところの酒のつまみは空豆と谷中生姜。
空豆は1月頃から食べているが、ほとんど切らしたことがない。
ご飯のおかずではなく酒のつまみにそんな贅沢を、と言われるが、酒のつまみだからこのくらいの贅沢はしたい。
もうじき枝豆が出る。空豆が終わって枝豆。私にとっての季節の変わり目。
弥次喜多道中記に茗荷の話があった。茗荷を食べると物忘れをするという事から、弥次さんたちが泊った宿の亭主と女房が悪さをする話。
「弥次喜多道中記」。古い話になってしまった。今の人は題名すら知らないかもしれない。
茗荷は今が旬なのか。茗荷だけ食べるということはないし、格別美味しいというものではないが、冷奴の薬味や味噌汁の具となると、格別な存在感を発揮する。
結婚して、家内の作る味噌汁がお吸い物のように薄味で閉口したことがある。
玉ねぎや茗荷を具にするときはほとんど煮ていない。火を止めたか止めないかのときに鍋に入れるようなので、ほとんど生。
母のなんでもクッタクタになるまで煮る味に慣れていたから、生のような具に馴染めなかった。
毎朝家内の作る味噌汁を「うまいな」と思って飲んでいる。だから母のグラグラ煮立てた味噌汁は間違ったものだと思っている。
だが、母の味噌汁はまずくはなかった。何が違うのかと考えると、味噌汁は「味噌」なのか「だし」なのかということに思い至る。
そんなことを考える人がいるかと思ったらいた。
《味噌汁は「味噌の味」と「だしの味」のどちらか一方を楽しむものではなく、両者が溶け合った“関係”そのものを味わう料理です。 ただし、どちらを主役と感じるかは、地域・家庭・作り手の思想でまったく変わります》
味噌を主役とするか、だしを主役とするかという考え方があるのだ。だしを主役とする味噌汁が正しいということではない。
信州味噌や八丁味噌のように個性が強い味噌は、だしはあくまで“下支え”で、味噌の風味を前面に出す作り方になる。
だしを主役とする味噌汁は関西や京都に多い。うま味というのはあくまでだしであって、味噌は薄く色を添える程度という考え方になる。味噌汁というより「だし汁の味噌仕立て」ということになるらしい。
母は信州でも八丁でもないが、田舎料理しか知らなかった。薄味では野良仕事はできなかったのかもしれない。
味噌ラーメンが好きである。母の味噌汁を思い出す。だがだしがきいているのか母の味噌汁よりうまい。
今晩も地震が来ませんように。



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