医者は楽観でも悲観でも患者は困る

つぶやき

 以前我が家をリフォームした時、大工さんが工事をしながら、「アッチャー、こりゃー参ったなー」という言葉を連発していた。

 その言葉を聞く度に、「大丈夫だろうか」と心配したが、工事も無事終わり、どこも「参ったなー」ということはなかったように見えたが、「参ったなー」ということはあったのだろう。

 今日は家内の定期検診日。家内も私に劣らずいくつも定期検診日を持っているが、今日は眼科。

 担当の医者が家内に言わせればネガティブな人らしく、「アッチャー、こりゃー参ったなー」とは言わないが、患者が不安になるような言葉を発する人らしい。

 今日は、「まあ寿命が先か、目が先か、といううことでしょうね」というようなことを言ったようだ。

 前回の検診のときの数値より良くなっているのだから、少しは患者が安心するようなことを言ってもいいと思うが、これも性分という事だろうか。

 「根が正直」と人を理解することはよくあるが、医者は推測まで正直である必要はない。 

 高齢者の医療というものは言ってしまえば、「寿命が先か、病気が先か」というものである。

 高齢者の医療は、「もう少し生きたい」のためにあり、若い人の医療は、「社会に復帰するため」にある。

 言われたくないが、「もう少し生きたところでなんになる」というのが、昨今の高齢者医療保険制度の論議ではないかと思う。

 眼科に行っても内科に行ってもどこに行っても耳の遠い人が多い。

 高齢の身になってはじめて判ることだが、目も耳も歯も、どれが一番大事ということはない。
 みんな同じように古くなってしまう。

 晩春の夜。やっとももひきを履かずに寝れそうである。

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