人生に感動は必要だ

つぶやき

 60歳の時に娘に子が生まれて、この子が20歳になる時私は80歳になるのだと思うと愕然とした。

 その子が来年3月に20歳になる。今フランスのリヨンに留学中。私の歳と孫の歳が同じ時間で過ぎていくことはないと思いたいが、そういうわけにもいかない。

 きのうテレビに録画していた番組を削除しながら4編ほどの映画のいいところだけを観た。「学校」「隠し砦の三悪人」「雨あがる」「遥かなる山の呼び声」

 映画はやはり観るものだなとつくづく思う。
 所詮作り話と思っても、思わず感動したり、感心したり、わくわくしたりする。

 「学校」の終わりのシーンで中江友里扮するえり子が、「私高校に行くことに決めたの。そしてね、大学の教育学部に入ってこの夜間中学の先生になるの」と言う話を聞いた時の西田敏行の顔が実にいい。この表情は彼にしかできない。

 「隠し砦の三悪人」の藤田進の裏切りがカッコいい。黒澤監督はカッコよくやるなと指示したという話があるが、確かにスマートなカッコよさではないが、不器用な裏切りが痛快である。

 まあみんな実にうまい話を作る。人生には感動が必要なのだ。

 四畳半一間のアパートに母と兄たちと暮らしていた時、アパート暮らしをするまで居候として世話になっていた叔母が訪ねてきた。

 母が生活が大変だと叔母に話したとき叔母は、「今がお前にとって一番幸せな時なんだよ」と言っていた。

 母はその言葉に納得したようだった。

 居候していることのつらさがあったようだ。叔母は何かあると「出て行け」と母をいじめた。叔母を頼らず母子寮に入ればよかったと、母はよく口にしていた。

 叔母の商売がうまくいかなくなり、我々親子は叔母から離れることになった。兄は中学3年。私は1年。姉は叔母のもとでタダ働き。働き手は母だけだった。

 でも母にすれば、家賃さえ払っていれば誰にも「出て行け」と言われない生活は、四畳半一間の生活であっても、張り合いのある生活のようだった。

 この九日は母の命日。介護施設で餅を喉に詰まらせて亡くなった。99才だった。

 多分感動することのない人生だったと思う。

 中学を出て働いていた印刷工場の日帰りバス旅行で、母と城ヶ島に行ったことがある。母は工場の人に挨拶しなければと、一張羅の着物を着て出かけた。

 そのバス旅行から何年も経って、私も結婚して母と別に暮らすようになって母を訪ねた時、母はつくろい物をしながら私を見ることもなく、「あの時城ヶ島の雨が流れていたね」と言った。

 高級旅館や由緒あるホテルに連れて行っても喜ぶことのなかった母に、そんなことが思い出だったのかと、近ごろよく思う。

 こんなことを以前も書いた気がする。母の命日となるとこんなことを思い出す。

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