部下の女性検事に性的暴行を加えた罪に問われている元大阪地検検事正の北川健太郎被告が、おとといの10月31日に保釈されたという。
北川被告が勾留されていたとは知らなかったが、2年4か月も勾留されていたということに驚いた。
この人は当初罪を認めていた。同意の上での行為だったが、被害者女性がそう言うなら仕方がないと、案外いさぎいい人だなと思ったものである。
無罪主張に転じたのは、検察の権威を重んじる上層部の意向を受けてという話もあったが、どういうことなのか分かりようもない。
勾留期間が長かったのは、人質司法が問題になっていることから、たとえ大阪地検のトップだったとはいえ長く勾留することもある、ということを裁判所は社会にアピールしたかったのかも知れない。
まあしかしこの人も、有罪判決を受けることにでもなれば弁護士としての資格も失うことになる。検事正まで登り詰めた人がどうしてこんなことをと思うが、検事正まで登り詰めても俗欲は抑えることができなかったということか。
「青春の蹉跌」という小説があったが、人生の蹉跌は青春時代だけではない。石ころひとつで人はつまずいてしまうのだから、つまずくことに社会的経験も人としての成熟も関係がないようである。
被害女性を石ころと言っているわけではない。
社会的地位の高い人や著名人のつまずきの代償は大きい。犯罪行為にならなくても地位や名誉や収入を失うことになる。
東出昌大という俳優をもうテレビなどで見ることはできないのかと思う。見たいというわけではないし、不倫問題が問われる前から知っていたという俳優ではないが、このまま埋まらせてしまうのは惜しい。
不倫が発覚してなにもかも失ったようである。
妻に対する裏切りということは分かるが、妻よりもっといい女に惚れてしまったということではないか。いいことではないが、それを責めるのが正しいということでもない。
国分太一というタレントはその後どうしただろうか。何が悪かったのかも明らかにされないまま社会から葬られてしまった。
「すべてを失ってしまった」という会見は見るのも辛いものだった。
なにか反社会的なことをしたのかもしれないが、日テレもちょっとひどいのではないか。責任逃れしかなかった。
人生つまずいて、取り返しのつくものとつかないものがある。
骨折で済むか、寝たきりになるか。
人生とは、石ころひとつで変わってしまうものなのだ。


コメント