「三味と踊りは 習いもするが 習わなくても 女は泣ける」
なるほど、うまいことを言う。
以前深夜ラジオのアナウンサーが、「この出だしの部分、いいですねー」と感心していたが、よくある作文の手法である。
歌詞の引用は著作権侵害になるのか知らないが、別に儲けるわけではないから勘弁していただくことにする。
2時頃いつもの公園へ。杖をついて歩いているせいか、ときどき年配者から声をかけられる。
「どうしました」と訊くから、「首と腰がこうで…」と話し始めると、実は私も腰がと、人に話を訊いといて自分のことを滔々としゃべり始める。
ウォーキングから帰って、いつもの通り4時頃から飲み始める。今日はスーパーで買った空豆と近所の農家からいただいた空豆の味比べ。バチカンではコンクラーベ。全く同じ味。農家がスーパーに卸した空豆ではないか。
テレビをつけると相棒の再放送チャンネル。近藤正臣と志垣太郎が出ている。最近相棒のストーリーを追うのが面倒になってきたのでニュースチャンネルに変える。
志垣太郎さんは確か亡くなったはず。30歳の頃失業していて、この人の浪速の商店を舞台にした連続ドラマをよく見ていた。3年前に70歳で亡くなっていた。いい男だったが、歳をとってからはそれが邪魔していい役者になれなかったような気がする
周囲に本当に高齢者が増えた。知り合いの死亡も多い。団塊の世代は競争の世代。勝ち上がった者、その他大勢の者。
そのうち「あれほど大勢だった団塊世代の生き残り」ということで、珍しがられるかもしれない。
習わなくても人は歳を取る。
(この原稿は昨晩書いて送信を忘れていた)
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