朝からクーラーというのもできたら避けたい。窓を開ければ爽やかというのがいい。だがこの暑さ、息も詰まるようである。
暑さは今日明日がピークとお天気キャスターが言っていたが、本当にそうならありがたい。今日も朝からカンカン照り。向かいの家の壁の白さが迷惑である。
地球環境を思いながら、未亡人についてボーッと思うことがある。
ボーッではなく深く考えては家庭騒動。もちろん日活ポルノの未亡人のことではない。
未亡人とは「いまだ亡き人」。これはネットの受け売りだが、昔中国では夫が亡くなると妻も一緒に死ぬべきという考え方があったそうだ。
まだ死んでいない妻が申し訳なさげに自分のことを言うのが未亡人という言葉だそうである。
夫を亡くした女性に対しては未亡人の他に、寡婦、やもめ、後家、孀婦(そうふ)、配偶者を亡くされた方、 靖国の妻などの呼称があるが、いずれも会話の中で使うべきものではないとされている。
唯一「寡婦」は、税金上の優遇措置とかで公的文書に使われている言葉だが、しかし役所の係の人が、「寡婦の山田さーん」と呼び出すことはない。
つまり夫を亡くした女性を意味する言葉はいくつかあるが、いずれも日常でも公式でもその女性に向けて言うことはできないことになっている。
ご主人が亡くなったとは知りませんでした、という感じで接することになる。
未亡人についてボーッと思うというのは私の知人の奥さんのことである。
私の数少ない友人は全員既に亡くなってしまった。夫が亡くなれば奥さんは未亡人。
夫が十分なお金を残してくれましたという人や、夫は公務員だったので老後の心配はありませんと言う人には関心がない。
夫が大した稼ぎもない自営で死んでしまった奥さんが少し気になるのである。
夜間高校時代の唯一の友人が4年前にコロナで亡くなった。彼は作家志望であったがどうもそれは実現しなかったようだ。
小さな出版社を営んでいたようだがそれも他人に譲り、亡くなる何年か前に会ったときはそれほど良い生活をしているようには見えなかった。
若い頃結婚した女性とは別れていた。その結婚式には私も出席したが、模造紙を絨毯に仕立てた質素というより貧しい結婚式であった。
だがお嫁さんは実に明るく、貧しく見える結婚式を恥ずるようなことはなかった。しっかり者の奥さんを迎えてよかったなと思ったものである。
しかし彼によれば大変な悪妻であったようで、彼を精神病院入れるようなこともしたらしい。子供は二人とも妻が引き取ったという。
50歳くらいのときに今の奥さんと再婚したようだが、やっと心の安らぎを得た、というようなことを言っていた。
その彼がコロナによる突然死。彼の死を知ったのは携帯電話の不通。
もちろん葬儀のことも知らなかった。彼の死を私に告げた電話以来、奥さんとは連絡が取れない。
何度か電話やメールを入れたが返事はない。墓所を聞いても連絡はない。着信はしている。
生前友人から聞いた話では、奥さんは天涯孤独な人だったらしい。傷ついた彼の心と孤独な女性の気持ちが二人を結び付けたようだ。
だが家も財産も残さず突然死。もともと少ない年金。残された女性はどうしたらいいのか。
孤独同志の結婚もいずれまた孤独の時が来る。金は残さねばいけないなと思う。


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