「三途の川」という川のことは子供の頃から聞いていた。このごろこの川に興味がある。もちろん寿命がそんなに遠い話ではないからだと思う。
いきなり誰でも読みたくもない話題で始めてしまったが、しかし悲観的に言っているわけではない。人は寿命というものを身近に感じるようになって初めて判るということがある。
人は亡くなってから四十九日をかけて浄土に向かうという。三途の川はその途中にある川のこととされている。
三途の川はこの世とあの世を隔てる川。その川を渡るには3つの途がある。
一つは橋、もうひとつは舟、もうひとつは泳ぐ。前世の所業によって決まるらしい。
真田幸村の真田家の家紋のひとつに六文銭があるが、六文銭が三途の川の渡り賃ということは知らなかった。
あの世に行くのに船賃がかかる。タダではない。だからものすごく説得力がある。
六文銭が家紋ということは、戦でいつ三途の川を渡るようなことがあっても、その覚悟はあるということらしい。
一昨年の暮れに亡くなった小倉智昭さんが、がん治療の全身麻酔の中で三途の川を確かに見た、という話をテレビ番組の中でされていた。
川の向こうに、すでに亡くなっている父親から立っていて、「こっちへ来るのか」と声をかけられたが、「まだそちらへはいけない」と答えたという話である。
作り話とは思えない。フロイト的な説明はできるのかもしれないが、小倉さんは確かに見たと思う。
小倉さんの話に啓発されたわけではないが、人が死んでいくことに関する話とか儀式とか、そんなことに少し関心を持ってもいいのではないかと思うようになった。
もちろん虚構であることは判っている。しかし虚構であっても人が納得し心が納まるものであるならば、それはとても大切なことではないかと思う。
そう思う理由は、4年前に発症した鬱にあるような気がする。自分の気持を自分でコントロールできないという苦しさを少し経験した。
科学的なものの考え方が正しいことは十分知っている。だが正しいことと心の納まりは別。
この頃、墓参りに行かなくてはと思うのだ。


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