防犯カメラがAI画像になったら恐ろしい

つぶやき

 トランプは懲りないようだ。今度はキリストとのツーショットのAI画像を公開したらしい。

 公開してすぐに削除した映像についてトランプ本人は「キリストではなく、医師としての自分を描いたものだ」と説明していた。

 「私は人々を良くしている」「医師として癒やす姿を表現した」 ということらしい。
 
 トランプは2024年の暗殺未遂以降、自らを「メシア的役割」「神に選ばれた指導者」と思い込む傾向が強まっている、と分析する専門家もいる。

 今回のAI映像も、「自分は国民を救う存在だ」というイメージを作り出したいがための、批判は承知の上での政治的演出。

 だがインチキな映像でも繰り返し人の目につけば、人は事実として思い込んでしまう。プロパガンダとはそういうものである。

 神をも恐れぬ、ということだが彼に言っても始まらない。

 これからの社会、フェイク画像だらけになるのではないだろうか。

 今まで写真は“証拠”であり、映像は“事実”を映すものとして信頼があった。しかし今AIが生成する画像は、その信頼を確実に崩しつつある。

 「百聞は一見にしかず」であったが、「一見は百聞よりも危うい」ものになってしまった。

 これから画像を見るときは、文章を読むときに求められる“読解力”が必要となる。

 写真や映像などの視覚情報は“事実”ではなく“表現”になってしまったからだ。

 皮肉なことに、AIによって便利になって、「見たものをすぐ信じてはいけない」という昔の人の知恵を借りなければならなくなった。

 目と耳にはもうひとつ、「耳を信じて目を疑う」と言う言葉がある。もちろん耳が正しくて目は間違っているという意味ではない。

 人のうわさ話を信じて、自分の目で見たものは信じない、というのはよくないということであるが、しかしフェイク画像の時代、この言葉はまちがって理解した方が正しいということになってしまった。

 時代の変化は180度である。

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