人間歩けるうちは歩ける。歩けなくなると歩けない。
いつまでも歩けるために歩いている、というのはありえない。
毎朝修行僧のように歩いている高齢者を見かけるが、まだ歩けるということで、そのうち見かけなくなる。
人間どんな病気にかかっても、死ぬまでは生きているということである。
院長が退職した医院を替えて、今日別の医院に行く。
この医院の院長、診察のしょっぱなにお薬手帳を見て、「あの医院にかかっていたのですか、どうしてまたここへ」と訊く。
今までの院長が退職して、新しい院長は内科が専門ではないから、こうしてお宅を探してここに来た、と説明した。
「その退職した院長とは親しいんですよ」と言っていたが、退職したとは知らなかったと言う。行き先を私に聞くくらいだから本当に親しかったのかは分からない。
なんとなく軽薄な医師。とりあえず採血だけして結果は1週間後。
しかし循環器内科として糖尿病も診察科目にしているのだから、血糖値はその場で知りたい。看護師に訊くとそういう設備はないという。
医院内を見渡すと、最低必要な医療機器だけ揃えたという感じ。開業してまだ4年。いろいろ経費も掛かり大変なのだろうと思う。
医者は病気を診ているもので人間を診ているものではない。
自分を診ていてくれると思い込むとろくな目に合わない。患者は「取り扱い件数」でしかない。
家内が庭で花の世話をしている時、通りがかりの人に声をかけられ、その人の病気の話と病院の悪口をさんざん聞かされたらしい。
あの病院はひどい、メチャクチャ、誤診ばかり。あちらラの病院はもっとひどい。あの医者のせいで死ぬとこだった。
多分、と言うまでもなく本当の話だと思う。若い人は医者のインチキに気がつかない。治ってしまうことが多いからだ。
しかし高齢者は治らない。もう歳という事なのだが、医者に掛かっても治らないのは、医者のせいだと考えてしまう。
それでいいのだと思う。高齢という事は古自動車と同じで直しようがない。
高齢者は医者のせいにすることで生きていく原動力になる。藪医者はそのためにある。
今夜も大地震が起きませんように。



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