ネットに「享年45歳」というような見出しで、過去人気のあった俳優さんたちの記事が度々掲載されるが、これを見るたびに、あの人はそんなに早く亡くなっていたのかと、ハッとしたり驚いたりする。
覚えていようと思うがすぐに忘れてしまうが、なんとか思い出して調べてみると、松山英太郎氏48歳、川谷拓三氏54歳、荻島真一氏58歳、三浦洋一氏46歳、和田浩二氏42歳。逸見政孝氏48歳。
ここに書いた全部の人ががんであった。それも、治療によって回復したが数年後に亡くなった、というのではなく、発症してから1年くらいで亡くなっている。
そんなに私と歳は違わない人ばかり。私が元気で生きていた時代にその若さで亡くなってしまった。「まだ若かったのに」という思いがある。
40代、50代で亡くなった俳優さんたちの名前を目にすることはつらい。
彼らは、かつてテレビの向こうで、私の時間に関わっていた人たちだ。
その人たちがそんな若さで亡くなったかと思うと、自分の人生のどこか一部が抜け落ちたような気にもなる。
死は順番ではない。人生とは、思いやりのひとかけらもないひでぇもんだと思う。
ブログに、死について書くことはタブーなのかどうかは知らないが、私が掲載しているこのブログの団体(どう言えばいいのか分からない)にも、死についての投稿があると思う。
死は話題として触れてはならないものであった。しかし高齢になると死は触れてはならないものではなく、触れたくなるものである。
もし、差し迫った死についてブログを書いている人がいたとしたら大変申し訳ない。死を触れたくなるものであるという表現はよくない。
高齢者の日々の生活には、いつも寄り添うようになのか、後をつけるようになのか、とにかく間違いなく死はそばから離れない。だからもっと死について語ってもいいはずだ。
人生毎日の時間つぶし。なにごともつぶすことからは何も生まれない。
時間をつぶすとは、「意味のない行為で、意味のある時間を殺す」こと。
幸い残された時間の行き先は今のところ死ではない。もちろん一寸先は闇。だが、先が分かっていることと分かっていないことには気持ちに大きな差がある。
まだ生きていけそうなのだから、時間をつぶすのではなく生かさなければいけない。残りの人生を考えることもできずに亡くなった人達がいるのだ。
そうは思うのだが、今日も時間つぶしをしてしまった。


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