叔母は夫を亡くしてから73歳くらいの時にはボケてしまい、私の姉が引き取って自宅近くのアパートに住まわせたが、来るセールスマンから手当たり次第に物を買い、姉がその支払いに困り果てたことがある。
ボケた老人の売買行為は無効と言ったところで、セールスマンたちは「そんなことは知ったこっちゃない」
認知症や障害などで判断能力が低下した人の財産を守るための制度として成年後見制度がある。
しかし制度の趣旨は立派だが運用がうまくいかない。「仏作って魂入れず」の典型である。現在法改正作業がなされているらしい。
うまく運用されていない原因は、法文上のテクニックだけで、人間や生活、家族とかいうものに対する理解を踏まえた制度になっていないからである。
「保護」の名のもとに上から目線で、実態に合ったきめ細かな運用が用意されていない。
たとえば、長年通っていた喫茶店に行くための小遣いが認められない。
孫にちょっとした祝い金を渡すことも難しい。家族が生活の面倒をみているのに立替金の回収などもなかなか認められない。
おかしなことに成年後見は一度始めるとやめることができないことになっている。後見人との相性が悪くても、報酬が高くても、変更は困難。この事の弊害が現実の場では大きいらしい。
さらに呆れてしまうのは後見人の怠慢と使い込み。弁護士や司法書士が後見人になることが多いが、後見人の仕事は後回しにして、その上保護すべき財産の横領事件があとを絶たない。
もちろん制度自体の責任ではないが、予防策が全くとられていない。
後見人は家族がなるのがいいと思うが、家族間の仲が悪ければそういうわけにもいかない。後見人になった家族が勝手に財産を処分してしまうかもしれないからだ。
物事の判断能力を失った人の財産を保護するため、後見人という代理人を選任して、本人に代わって財産管理を行う。どこも間違っていない。立派な制度である。
しかし本人が正常であったらこうしたであろうことも、財産保護という名目のためすべて拒否されてしまう。
正常であったら生前贈与したかもしれない。子供が家を建てれば新築祝いをしたかも知れない。孫が大学に入れば祝い金を出したかもしれない。
ほとんどが認められない。後見人は本人に責任をとるものではなく裁判所に責任を負うからだ。
そんな「保護」をして、なんのための保護と言うのか。
挙句の果てに弁護士などの後見人は仕事もせず、保護財産の使い込みをする。そうなのに毎月2万円から6万円くらいの報酬を保護財産から支払わなければならない。
開業したての司法書士などは仕事がないから後見人になりたがる。安定収入が欲しいからだ。法律家でもない代書屋がなぜ人の財産管理ができるのか。
保護してやろうという視点を持つと、人も制度も自分勝手なものになる。
実態にじっと耳を傾けることである。


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