家内から「郵便預金の利息が入りましたから」と、わずかな利息収入の分け前をもらうことになった。
常日頃、家計を圧迫してまで贅沢はできないと思っているから、思いもしない収入が入ると、「私が払うからうなぎでも食べに行こうか」とつい口に出してしまう。
「いつも自分が払うと言いながら払った試しはない」と、家内に嫌味たらたら言われるが、結局家計とは家の金のこと。
私の財布から払わなくても結局は同じことではないかと思っているから、「払うと言いながら払わない」と言われるのは心外である。
だが家内の気持としてはそうではないらしい。おごると言うならおごってほしいという気があるようだ。
そんなことで、昨日ふじみ野市にあるうなぎ屋へ行くことになった。タレがさっぱりしていて、それでいてうなぎの楽しさは損なわない。
うなぎ代はきっちり私の財布から払うことにした。家内が嬉しそうに金を受け取ったことが意外であった。
2時頃自宅に帰り、3時から「鬼平外伝 夜兎の角右衛門」を見る。
他人様の金を盗んでも、盗まれた家人たちが困らないように有り金全部は持っていかない。人を殺さず、女を犯さず、という盗賊の話。
劇中、乞食姿の女が、このドラマの主人公である夜兎の角右衛門から料亭でうなぎのかば焼きを御馳走になるシーンがある。
「うなぎがこんなにうまいものであるとは知らなかった」と女は涙を流す。
この乞食役の女性、まさかと思ったがやはり荻野目慶子であった。
彼女がこんな役をやる必要がどこにあるのか、と思うような配役。
鬼平の話には、盗賊にはいい盗賊と悪い盗賊がいる、という設定がなされている。
なんとなく見てしまうと疑問に思わないが、やはりそれはおかしい。泥棒にいいも悪いもない。
時代劇というもの。現代劇ではできない人間のドラマを表現できると言われている。
しかし昨日の鬼平外伝を見て、時代劇というものは、検証できない時代を利用して、ありもしない人間の善とか誠とかというものを押し付けているのではないかと思った。
番組の最後に、「鬼平は角右衛門を憐れんで屋敷の隅に小さな祠を建て、毎日手を合わせたという」というナレーションが流れた。嘘だと思うが本当のことのように聞こえるものである。
東映時代劇、赤穂浪士、水戸黄門、大岡越前、必殺仕事人、その他なんでも。
結局、みんな時代劇に騙されていたということではないだろうか。


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