苦節は10年、悲願はなん年

つぶやき

 喉の痛みがきつかったからコロナだったかもしれないが、今日一日なんとか6度5分以下で終わった。家内に移っていなければと思うが、同じ室内、そう甘くはないかもしれない。

 今日の参議院予算委員会で面白いやり取りがあった。
 高市首相は1月19日の会見で、「消費税減税は私自身の悲願でもありました」と発言している。

 この発言に対して共産党の山添議員が質問。
 「悲願」と言われましたが、いつからの悲願ですか?

 すると高市首相は、去年(2025年)の6月から、と答弁した。

  山添議員は苦笑しながら、割と新しい悲願ですね、とコメント。

 「悲願」なら消費税導入の頃から、あるいは税率がアップされた頃からでなければ話の筋としてはおかしい。わずか半年前で悲願とは言わない。

 さらに、悲願なら2年でなくずっと無税にしたら?、という質問には、 消費税は社会保障として家計に還元されているから恒久ゼロにはできない、と否定。

 消費税を社会保障財源とすることは当初からのこと。それを理由に「恒久ゼロにはできない」というなら、何が「悲願」だったのか。

 まあそんなところだろう。選挙目当てのまき餌のようなものなのだ。
 高市さんも本気で、「消費税減税は私自身の悲願でもありました」と言ったわけではない。

 夜も更けた。まもなく日付が変わる。嘘の話に付き合っているのもバカらしい。

 61歳で膵がんで亡くなった学生時代の友人は、ドボルザークのチェロ協奏曲が好きだと言っていた。

 名曲喫茶でこの曲が流れていた時、彼は何の曲か判らなかった。

 彼は「ドボルザークのチェロ協奏曲が好きだ」ということを口にすることが、自分の音楽体験の豊かさを示すものとして、どこかで覚えたようなのだ。そういう男だった。

 音楽は知識ではない。音楽をただ聴くことである。

 今日、その曲がずっと頭の中で流れていた。第2楽章だけでいい。

 シンフォニーもコンチェルトも、終楽章は「苦悩から歓喜」でなくていい。この歳になると高揚は要らないのだ。

 音楽は黄昏のように、静かに消え入るように終わってほしい。

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