毛があっておやじを想う

つぶやき

 この40年近く床屋に行ったことがない。どうしているかといえば自分でカットしている。

 手の届かないうしろは家内にやってもらっていたが、最近ではうしろも自分でやっている。洗面所を改装し、大きな三面鏡を入れたからである。

 若い頃から床屋に行くのは好きではなかった。まず床屋に行って似合う髪型になったことがない。床屋に行くとおかしな顔になってしまうのである。

 床屋に行かなくなったのはそのことではなく、ある床屋での経験がきっかけである。

 カットを始める時「どちらから分けますか」と床屋が訊く。こちらから、と言ってカットが始まり、それが終わって洗髪。仕上げとなった時に、床屋が「どちらから分けますか」と訊くのである。

 以来床屋には行かなくなった。

 79歳になって有難いことにまだ十分に頭髪がある。頭頂部が薄くなったということもない。白髪が目立つようになり、毛も細くなったが、頭髪がしっかりあるお陰で少しは若く見られているようだ。

 父親は私が1歳と少しのときに亡くなっているので、おやじの顔は全く知らない。写真で見たことがあるが、頭髪はかなりあったようだ。

 母から聞かされたいたおやじの思い出はあまりいいものではないから、おやじを知らないというだけでなく、いい感情を持っていない。子としてはあまりいいことではなかった。

 母方には若い頃から毛のない人が多い。どうも父親似らしい。

 おやじが亡くなって78年。私にも父親がいたのだなと思うことがある。

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