なぜあの時代に戻ろうと言うのか

つぶやき

 夫婦別姓はもはや絶望らしい。夫婦別姓制度ではなく、旧姓の通称使用を法制化することに自民・維新が合意しているからである。

 夫婦別姓制度を認めようという動きがあったように思うが、保守・極右という高市総理は否定派。夫婦別姓制度の創設は女性からの要望が多いが、同じ女性として高市氏はあまり関心はないようだ。

 夫婦別姓を認めると社会の秩序が損なわれる、ということが否定の根拠のようであるが、そんなことで社会の秩序が損なわれるとも思えない。これほど国民が望んでいる制度をなぜ認めようとしないのか。

 個人主義、自由主義に対して保守・極右は特別の警戒心を持つ。個人が自由な意思を持つ素晴らしさは、保守でも革新でも同じだと思うが、保守にとってはそうではないらしい。

 「個人の自由」を重視する傾向は「家族の絆の弱体化」や「社会の分断」を引き起こし、それは国家の弱体化につながるというのが保守の論理である。

 夫婦別姓制度の良し悪しを保守は考えているわけではない。保守が意図する国家の在り方に、夫婦別姓制度は好ましいものではないという判断から、認めるわけにはいかないということである。

 保守が意図するの国家の在り方は、国家と家族の一体化思想である戦前の「家族国家観」というものと同じようなものであるらしい。

 要は個人の自由ではなく、国家に忠誠を誓う人間を育てるシステムを、現代でも作るべきだということである。櫻井よし子さんの「国のために戦えますか」という問いかけはこのことなのであろう。

 とにかく個人が尊重されてはまずい、個人は集団の中にあって集団の制約を受けるべきだというのが保守の考えである。 

 夫婦別姓は戸籍制度を崩壊させるというが、実は戸籍制度は戦後の改正によって保守にとってはとっくに崩壊しているものである。 

 戸籍は「個籍」でも「人籍」でもない「戸」籍なのである。家長(戸主)制度においてその存在意味があるものである。
 
 現代の戸籍は親と子の関係しか表記しない。これは「個籍」でしかなく保守の言う戸籍とは違う。
 
 戸主制度は戸主の絶大な権威のもとに、大勢の家族に忠誠と服従を身につけさせる装置であり、それが国家に対する忠誠服従につながるものとして設置されたものである。

 高市首相は家長制度の復活は望ましいことと言っている。
 
 国家に忠誠を誓う人間を育てることが如何に国家を危殆に晒すものであるかは、先の戦争で日本人は骨身に沁みたはずであるが、保守はそれをまたやるべきだと言っているのである。

 家族国家観。戸主に対する忠孝忠誠が、国家は対する忠孝忠誠になる。これは思想と言えるのだろうか。

 日本は戦後GHQによって、保守が日本の美徳と言うこの思想が否定された。
 
 日本古来からの思想が否定され、外部から与えられた自由と民主主義によって、日本は思想を持たない民族になってしまった。だから日本を取り戻すべきである、と保守は訴える。

 同感であるが、取り戻すべき日本は家族国家観ではない。人間が個人として尊重され、自由な社会である。

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