高みからの風景はずっと見ているものである

つぶやき

 藤井聡太九段は今年7月で24歳になるそうだ。中学2年生の時プロ棋士としてデビューしたが、もうそんな歳になるかと思う。

 前代未聞と言うような活躍だったが将棋は静の印象。頑張って勝ってもスポーツ選手のように「自分を褒めてあげたい」などと言わないし、顔にも態度にも出さない。

 デビュー10年ということなのか、ネットにインタビュー記事が掲載されていた。

 穏やかな口調でものすごいことが語られている。ここに引用しようと思ったが、なんのために引用するのかと考えたらやめることにした。

 彼はまだ途上と言っているが、24歳の若さでこれほどの人生の感想を語ることができるのは、やはり高みに到達した人ならではである。

 人生は立つ位置によって見える風景はどうしようもなく違う。どんな理屈をつけたって、高い位置からの風景のほうが価値がある。

 自分に見える風景が自分の風景。他人の風景に憧れたってしょうがない、と言っても差がありすぎる。  

 才能に関しても頭の良さに関しても人生は不公平である。この不公平は文句を言えば是正されるものでしない、凡人に生まれたことに落胆しながら諦めるより仕方がない。

 だが何の高みもない私のような人間が人並の生活をしてこれたのだから、人生は不公平ではあるが、薄情ではない。人生の薄情を感じないだけ、良しとしなけれはいけないのかもしれない。

 簗議員が辞表を提出。今日の朝刊は「簗農相更迭」とでかでかと掲載。

 簗議員も高みにいた人。国会議員というのは高みにいながら、その地位は低み(こういう言葉があるのか知らないが)の人達によって支えられている。

 これはとても不本意なことだろうと思うが、そういうことになる。

 国会議員にとって何が一番イヤかと言えば選挙ではないか。「選挙さえなければこんな奴らに…」という意識を持っているはずである。

 人生の高みは自分で得るもの。藤井九段の爽やかさは国会議員には絶対身につかない。

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