人生分かっていない方が楽しめる

つぶやき

 何ごとも経験してみなければ分からないと言うが、この言葉は思った以上に深い。たしかに経験してみないとホントのところは分からない。

 経験してみなければ分からないという言葉で、経験した気になっているということもある。

 若い頃、他人の仕事ぶりや仕草をカッコいいと思ったり憧れたりしたことがある。手帳が分厚く書き込みなどで膨れ上がっているのを見るとカッコいいなと思ったものである。

 何年か前、50過ぎて自営業で飛びまわっていた私を知っている人から、「あなたの仕事ぶりがカッコいいと思っていました。私の憧れでした」と言われたことがある。

 自分で言うのもなんだがそう見えたかもしれない。なにしろ仕事が充実していた。その仕事は、その人がやりたくても資格を得なければやれない仕事であった。この人は資格が取れなかった。

 しかし自分が他人から憧れられるようになっていても、そんなことには全く関心がなかった。とにかく本当に忙しくカッコつける暇などない。人生充実しているとカッコつけることに気がつかないものである。

 昔マンションの窓から、お医者さんが住んでいるという立派な戸建て住宅を眺めて、いつかはああいう家に住みたいと思っていたが、運よく50近くになってその夢を実現しても、戸建てに住むことは当たり前のことで憧れでもなんでもなくなっていた。

 作家がペリカンの万年筆を使って小説を書く姿がカッコいいと思って何本もペリカンを買ったが、忙しくてたくさんの字を書かなければいけないときに使っていたの100円のボールペンだった。ペリカンではかったるくて間に合わない。

 3年近く前に亡くなられた創価学会の池田大作氏は、その著書「人間革命」を執筆する時万年筆を使われていたが、一字の訂正も加筆もなく、下書きも見ずに原稿用紙を埋めていったと聖教新聞にあった。

 本当の話かもしれないが、何がカッコいいことなのか、こういう新聞はよく分かっている。

 なに事も分かってしまうと、分かっていない時に思っていたことと違うことになる。

 人生分かっていないほうが楽しめるということは言える。

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