我が家がとる新聞の朝刊1面下に「余録」というコラムがある。
言うまでもなくコラムは内容の当事者が書くのではなく、新聞社の編集委員というようなエライ人が書くことになっている。
毎日それなりの内容にするため苦心していると思う。
今日のコラムは話の振出しを人気アクション漫画という「北斗の拳」から始めていた。私は見たことはないが、どんな面白い話かと思うではないか。
高松市の村川健司さんという人の名が突如文中に現れ、好きなキャラクターは「シュウ」だという。どういうキャラクターなのか私はもちろん知らない。
少年を救うために自らの目を犠牲にする。「自分よりも他者。それが格好良かった」というのが、村川さんがシュウを好きになった理由だとコラムニストは書いている。
「北斗の拳」を読んでいる人はなるほどと思うことなのであろう。
1995年に村川さんに長男が生まれるが、村川さんはその長男の名を充(しゅう)と名付ける。
その充さんは5歳の時に筋ジストロフィーと診断される。徐々に筋力が衰え死に至る、治療法のない難病である。
充さんは幼少期飛行機が好きになる。夢はパイロットになること。だが病気がそれを許さない。「せめて操縦席に座りたい」
ボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」日本支部というところが、充さんを支援する。充さんは2009年にその夢を叶える。
しかしその後も病状は止むことなく悪化し、筋力の衰えは心臓に及ぶ。
命の終わりを悟ったのか充さんは父親に、「貯めてきた障害者年金30万ほどをメイクに寄付したい」と伝え、手紙を託す。
<僕の命も残りわずかだと思います。このお手紙を読まれる時僕はいません。難病で苦しんでいる子の夢を叶えてあげてください>
2日後充さんは20年の生涯を閉じる。
北斗の拳の連載が始まったのは1983年9月13日。村川さんは今日は「北斗の拳の日」であるという。
息子さんとの別れから10年が過ぎた。
「シュウという名をつけたからですかね。最後まで他者を思いやるヤツでした。充は今も私たちの家族の誇りです」と村川さんは語ったという。
私は他人の文章を引用するのは好まない。しかしブログのテーマのために引用せざるを得なかった。
このコラム、いい話だと思う。さすがに熟練記者の文章、うまいと思う。
でもいいコラムとは思わない。
難病で死んだ息子を「ヤツ」と言うだろうか。
かけがえのない息子を「誇り」と言うだろうか。
言うかもしれない。だがそれをコラムのエンディングにするのは技巧過ぎる。
さりげない文章を装うことで共感を求めている。以前も書いたことだが、ずるい文章ではないか。「余録」として書く内容だろうか?
村川さんの悲しみをこんな文章に置き替えていいはずはない。
人の慟哭を、気の利いたシャレた文章に仕上げてはいけないのだ。



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