フジテレビが、港浩一前社長と大多亮元専務の法的責任を追及するため、民事訴訟の準備に入ったと発表した。
訴訟を提起したわけでもなく、「民事訴訟の準備」など、何もわざわざ発表するようなことでもないと思うが、もちろんなにか思惑とか狙いがあってのことなのだろう。
清水賢治という次期社長が訴訟について、「内容は未定」「訴訟額も未定」としている。ただ取締役として善管注意義務違反や任務懈怠などが想定されるとした。
いくらの損害賠償請求になるというのだろうか。スポンサー離れで広告収入が減ったというのであれば、ちょっとやそっとの賠償額では済まない。そんな金個人として払えるわけがない。
いくら社長さんだ専務さんだと言ったって、面白ければいいというだけのバラエティ番組を作ってきただけの人である。中居の問題がどういうことなのか、どこに問題があるのか、どう処理しなければいけなかったのか、まったく判らなかったのではないだろうか。
まだ7割近くの企業が、CMの出稿を見合わせているそうだ。そうであるなら背に腹は代えられない。
「まあここはひとつ悪者になって頂いて、なんとか会社を守らなければならない」
これは裁判を利用したみそぎ。言うまでもないことだが茶番劇。
しかしフジテレビの黄金時代を築いた人を、すべての責任は彼らにあると、訴えていいものなのか。あまりに薄情ではないか。
取締役としての注意義務違反や任務懈怠だと言っても、こういう一般条項による賠償請求は難しい。それでも訴える。
「面白くなければテレビじゃない」。中身のない薄っぺらなものだったのだなと思う。
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